『しまなみ海道親子ツーリングB』
吉海町〜今治
    『吉海町⇒来島海峡大橋⇒馬島⇒波止浜港⇒小島⇒今治』
2003年8月18日(月)
  朝は7時前に目が覚めたが、今ひとつすっきりしない目覚めである。ここは、キャンプ場ではないので、夜中に何回か目が覚めた。ちょっとした物音が気になって今ひとつ安心して寝ることができなかったのである。
 子どもたちはまだ寝ていたので、1人で朝食の準備をする。長男が、1日目にパンを食べてもどしたことを気にしていて、今日の朝はお米のご飯がいいといっていた。それで夕べ永谷園の味噌汁といわしの缶詰を買っておいたので、おかずはそれ。昨晩買っておいたミネラルウォーターで再びお米を炊いた。ご飯ができたころ、子どもたちを起こして、一緒に朝食をとる。やぶ蚊がものすごくいる中、3人でやぶ蚊と戦いながら朝食をとる。
 朝食を終え親子で協力してテント撤収と、食器の片付けを行う。食器洗いは、海水である。子どもたちに食器洗いをまかせ、私はテントの撤収。最後にここを使わせていただいたお礼に、自分たちが出したゴミはもちろん、それ以外の散らかっていたゴミも拾い、掃除をした。昨夜は、この場所があったからなんとかなったのだ。感謝。感謝。出発の前に再び携帯で土地の持ち主にお礼をいった。
  400〜500メートル離れた道の駅に行き、顔を洗ったり、歯を磨いたりした。あ〜すっきりした。

ここにテントを張ったのだ〜 朝食中 海水で食器洗い 道の駅で洗面&歯磨き

 しまなみ海道最後の橋、「来島海峡大橋」。この橋は3つの橋からなっており、大島〜今治4キロをつないでいる。今までの橋の中で一番立派で長く、景色もとても綺麗だ。途中の馬島に建っている柱の部分に唯一有人の料金所がある。ここからエレベーターで自転車ごとおりることができる。せっかくだから下りてみた。自転車と一緒にエレベーターに乗るというのもなにか変な感じがした。エレベーターまでの道も橋の中を通っていくようで面白かった。

 来島海峡大橋 来島海峡大橋2 エレベーターでおりれるのだ〜 エレベーター内 もうこんなに汗をかいたよ〜 橋の胎内って感じで面白い

 来島海峡大橋を渡るとき、右手に小島が見えた。これからこの島へ渡って、明治時代の海軍の要塞を見学するのである。けっこうちっちゃい島であるが、本当にそんな立派な要塞があるのかな?と不思議に思った。
 橋を渡ったら、自転車のためだけに造ったとは思えないほど、立派なループ橋で下に下りていく。本当に『しまなみ海道』は自転車乗りにとってはありがたい。
 サンライズ糸山という今治のサイクリングターミナルへ寄って、波止浜港までの道を教えてもらう。昔の街並が残っていて結構ややこしい道だったが、なんとか無事に着いた。対岸には大きな造船所がある。

これから行く予定の小島

 小島行きの船は1時間から2時間に1便という感じで、少し時間があったので、待合室で休憩がてらゆっくりした。外は暑いが、日陰に入るとそうでもなく、待合室がとてもありがたかった。11時10分に出港。
 ここの海峡はとても潮の流れが速いということだったが、思ったより小さな船だった。息子たちは船に乗れるというので大喜び。しかし、すぐに来島に着き、1分もたたないうちに出発。その後5分ぐらいで、もう小島だ。短い短い船の旅を終え、上陸した。

船だ うれし〜♪

 ここの詳しいパンフレットなどはなく、船着場の看板に要塞の場所が書いてあるぐらいだったので、この看板をデジカメで撮り、それをたよりに島内めぐりをした。しかし、要塞跡それぞれには説明が書かれた案内板があり興味深く見学することができた。
 小島は周囲約3キロメートル標高100メートルの島で、来島海峡を眺めたり、自然散策、キャンプ、海水浴などに絶好の島という。ここに残る要塞跡は、明治時代の海岸要塞としては完全に近い我が国唯一のものであり、砲台跡や兵舎跡、火薬庫跡など、山中各所に設けられた施設はほとんど当時のままで、貴重な史跡である。芸予要塞は日清戦争当時、世界の大国ロシアを相手に戦いを予想した日本がロシア海軍の侵攻を防ぐために建設したものということである。

弾薬庫跡 発電所跡 砲台跡

 発電所跡、砲台跡、弾薬庫跡、司令塔跡など、橋の上からはあまり分からなかったのに、予想以上にたくさんの要塞跡がありとても面白かった。司令塔跡はこの島の最上部にあるらしく、360度絶景が見渡せる。ここからの来島海峡大橋の眺めは本当に綺麗だった。また、ここに上ってくる石段がとても急で長く、子どもたちが恐がるぐらいだった。

弾薬庫跡2 司令塔跡 眺めは最高

要塞跡と要塞跡をつなぐ道は散歩道になっていた。木のトンネルのような場所が何箇所もあり、木という木にセミが何匹もとまっていた。横を通るとバッと10匹ぐらいセミが飛び立つようなことが何度もあった。次男は手づかみに挑戦して、3匹ゲット。初めて手づかみができた〜と大喜び。尾道のセミといい、ここのセミといい、何か益田のセミに比べて動作が緩やかなような?
 12時50分に帰りの船が来て、すぐさま出発。

セミロード セミロード2 この船に乗って波止浜港へ帰る

 小島というあまり人に知られていない場所ではあったが、明治時代の要塞をこの目で見ることができて得をした感じである。見学も無料であったし、現在もすぐ近くの家で人々は生活していて、人家の前の庭と通って要塞跡に行くようなところもあり、なにか面白かった。
 波止浜港から今度は今日の第一の目的、お風呂に入るために、今治港方面に行きながら温泉を探すという活動に入った。
 2日間も風呂に入っていない3人。必死で温泉の2文字を探す。しかし、なかなか市内には温泉が見つからなかった。そんなとき、『今治駅から車で1分。今治健康ランド』という看板が・・・。これだ!健康ランドへ行くためにまずは今治駅。そこから車で1分ということは6キロぐらい先だろうと予想して進む。なかなかその場所が分からず、道を歩いている人に聞くと、少し行き過ぎていた。逆戻りして、海側に行くと、健康ランドの看板が・・・。やった。やっと風呂に入れる。受付に行くと、大人1500円。子ども750円の合計3000円という。えっ〜。た・・高い。思わず声に出してしまった。受付の人は、「入場料も込みですから」という返事。ゆ・ら・らの入浴料の500円という値段に慣れている私は、1500円という料金になじめなかったが、ここまできて入らないわけにはいかない。3000円払って入浴した。ここの風呂はいろいろあった。電気風呂、プール風呂、檜風呂、水風呂、泡風呂、など、なるほど、高いわけだ。おまけに、アロハのような湯上り着もくれ、1日ゆっくりいて、何度も風呂に入るというスタイルらしい。我々は、それほどゆっくりしている暇はなかったので、こういうシステムは活用できなかったのが残念であったが、久々の風呂にしっかりつかり、大満足だった。風呂って本当に気持ちいい。子どもたちはプール風呂があったので、そこでよろこんで泳いでいた。

今治健康ランド 

 さっぱりしたところで、今治港へ行く。ここから三原までは高速艇に乗る。フェリーではないので自転車を乗せられる台数に限りがあると考えたので、事前に予約をしておいたのである。今治港に行ったら、すぐに乗り場が分かった。ほっとしたところで、今日も遅い昼食を食べる。今治港の近くの「おとうさん」という食堂に入った。3時半ごろだったと思う。
 高速艇に乗せるのは自転車が最初である。そのため、他のお客さんよりも先に乗船できる。4時30分に乗り、出港の50分まで、船の中で待つ。港の中にいるのであるが、結構ゆれる。
 高速艇が出港。今まで自転車で通った道や橋などを海から眺める。海からの景色もなかなかである。次男と私は、疲れのためその後寝てしまったが、長男は結局最後まで、寝なかったそうである。
 5時50分に三原に到着。約1時間の船旅だった。

高速艇に自転車を乗せる

 三原港から、三原駅まで、自転車で行き、そこの駐輪場に自転車3台を置いておき、電車に乗って尾道に行くのである。

三原駅 三原港 電車に乗って尾道へ

尾道についたら、今度は、車を止めている千光寺公園駐車場まで行かなければならない。もう、ロープーウェイは動いていない時間なので、徒歩で行くしかない。尾道という町は小さな道がたくさんあり、この道が本当に先に続くのだろうか?というような小道も立派に公園まで続いていた。尾道城の横をとおって、千光寺公園へ。そして、車に乗り、今度は三原駅へ。
 その後、自転車を積み高速に乗って益田まで帰った。子どもたちはさすがにつかれきったようで、車の中で爆睡。

旅の終わり尾道城

  しかし、本当によくやったなあとその寝顔を見ながら思った。この3日間で息子たちは一回り大きくなったような気がした。来年は、どこに行こうかなあ?

  本日の走行距離 23.5キロメートル

    

















『つぎはぎ日本一周』