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『しまなみ海道親子ツーリングA』
瀬戸田サンセットビーチ〜吉海町
『瀬戸田サンセットビーチ⇒耕三寺⇒多々羅大橋⇒大山祇神社⇒大三島橋⇒伯方・大島大橋⇒吉海町』
2003年8月17日(日)
瀬戸田サンセットビーチ、「祭りの渡った後のよう」の言葉どおりで、なにかしら寂しさがただよう朝だった。観客たちが残したゴミが会場のあちらこちらにちらばっていた。
ここからは、NHKの「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったといわれる、「ひょうたん島」が見える。朝の散歩でその島を確認。確かにそれらしい島の形。
キャンプ場もテントの撤収があちこちで行われていた。我々も朝食のパンを食べ、顔を洗ったらすぐにテントの撤収にかかった。
テントを撤収し、自転車まで荷物を運んだと思ったら、パラパラと雨が降り始めた。今日のサイクリングは雨の中かあと多少ブルーな気持ちになる。
計画では、ここで海水浴をしてもいいなあと思っていたのであるが、雨では仕方ない。
管理棟に行くと、今度は管理人がいた。昨日からのことと勝手にテントを立てさせてもらったことをお話しし、テント持込料を払った。怒られてもおかしくないのであるが、逆に「言ってくれてありがとう」ということでお礼を言われた。思ってもみなかった対応だったので、とても気持ちがよかった。「本当にありがとうございました。助かりました。」
その後、雨が強くなり、駐輪場で雨が止むの待つ。少しすると、雨が止んできたので、耕三寺へ向かって出発。しまなみ海道を逆に戻る。
耕三寺には、屋根つき駐輪場があった。今日のような天気だといつまた、雨が降り出すか分からなかったのでありがたい。そこに自転車を止め、中に入る。中を見学している時に再び雨が降り始めた。
日光東照宮の陽明門を模して作ったといわれる『孝養門』は美しく、耕三寺の顔といってもいい。
本堂よりも上に上っていくと『未来心の丘』がある。これは一般のお寺のイメージとは違いイタリアの大理石を使った白一色の世界。抗谷一東氏が12年の歳月をかけて作った庭である。そうかと思えば、お寺の地下には洞窟があり、そこには地獄絵図が・・・。私が受けた感覚は、耕三寺は、お寺の博覧会といったもので、いろいろ見ることができ面白かった。
雨がなかなか止まなかったので、雨宿りをして待つことにした。軒下のイスに座り息子たちと雨宿りをするということもなにか、風情があっていい感じだった。車で移動するいつもの生活では雨宿りなどめったにしないので、懐かしい感じがした。前に見える石の塀には耕三寺について歌われた短歌が彫ってあり、それを見たり、解説したりして待った。15分ぐらいすると雨があがったので、多々羅大橋へ向かった。
再びサンセットビートの前を通り、夕べテントを立てるかもしれなかった空き地もすぎ、多々羅大橋についた。
この橋は、大三島と生口橋にかかる橋長1480メートル、中央支間長890メートルの世界最長の斜張橋である。女性的で美しい印象を受けた。
柱の部分にかごがあり、その中に拍子木があった。?と思ってみてみると「鳴き龍」ができるという。
「鳴き龍」・・・日光東照宮、京都相国寺などの堂内で、天井画の龍に向けて拍手あるいは拍子木を打つと、天井と床との間で共鳴し、音の多重反射音(残響音)が聞かれ、あたかも天井に描かれている龍が鳴いているようだというのでこの音を゛鳴き龍゛と呼んでいるそうである。
最新の技術を使って建設された多々羅大橋でこの「鳴き龍」が聞こえるとは誰も予想していなかったそうで、完成後利用者が 発見し現在はそれを体験してもらうために、こうして拍子木を置いているそうである。子どもたちとこの『鳴き龍』をしばし楽しんだ。とても不思議な感じがした。
橋を渡ったところの『多々羅しまなみ公園』の道の駅で昼食をとった。なぜかここに尾道ラーメンが・・・多々羅ラーメンとかがあればそれを食べたのだが、尾道ラーメンしかないというので、それを食べてみた。うまいのはうまかったが、なぜここで尾道?という気持ちは残ってしまった。
『しまなみ海道』の中で、大三島のサイクリングロード、特に大山祇神社までの道が一番整備されていると感じた。普通の発想だと、自動車道と平行してサイクリングロードを作ると思うのであるが、ここは自動車道の傾斜がきついところは、サイクリングロードが独立し、迂回して、傾斜を緩めた道になっていた。そんなところが何箇所もあった。このつくりに感動。本当に自転車に乗っている人が設計したって感じでとてもいい。
峠を越えて、大山祇神社に着く。ここは日本総鎮守と呼ばれているところで、境内中央には樹齢約2600年の神木である大楠が鎮座している。この木は神々しささえ感じるようで見ごたえがあった。
また、この神社には多くの武将たちが戦勝祈願や、お礼として奉納した武具があり、それを宝物館に展示している。中には源頼朝、源義経など驚くような人の武具もあった。国宝級の武具の80%がここにあるそうである。・・・・すごい。ただ、残念なことに写真撮影は不可ということだった。(あたり前か?)
そんな武具を見学し、歴史上の人物がその武具をつけていたのかと思うととても神秘的な感じがした。国宝の保存の関係で照明も薄暗く、それがまた、そんな雰囲気を感じさせるのに役立っていた。
宝物館の近くに昭和天皇が調査したという海の生物についての海事博物館があった。そこにも入ってみる。子どもたちはこちらの方が気に入ったようで、いろいろな生物の剥製などを見学していた。特にくじらのおちんちんが気に入ったらしい。
帰りは、安全なサイクリングロードということと来た道を戻るということで、子どもたちを先に行かせた。先を進むのは面白いらしく、来るときは少し疲れ気味でこいでいたのに、帰りは元気いっぱいにこぎ、あっと言う間に峠まできた。特に次男は見違えるように速かった。どういう性格かわかる。
その後も、ここ大三島のサイクリングロードはしっかりしており子どもたちを先に行かせた。兄弟でおしゃべりしながら気持ちよく進んで行った。「サイクリングって楽しいねえ」という会話もこのぐらいから聞こえるようになった。「いいぞ、いいぞ」とほくそえむ父親であった。
大三島橋前の道はそれまでの緩やかな坂とはうって変り、急な坂道になっていた。多分大三島橋は随分前に造られたので、サイクリングロードという発想がまだなかたためだと思われる。(工事中のところがあったので、いずれはいい道になるであろう)そこの急な道をふんばって、本日2つ目の橋、大三島橋を通る。
この橋は大三島と伯方島間の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋で、本州四国連絡橋の中で最初の橋として着工され、1979年に開通したそうである。
伯方島に入り、コンビニがあったのでそこで今日の夕食の食材を購入。今日こそは自炊の予定。といっても、レトルトのカレーや缶詰などで、ご飯を炊くことぐらいであるが・・・。
今回、子どもたちは3日間で500円のお小遣い。このお小遣いでおやつを自由に買ってもいいことにしている。めったに自由になるお金というものを手にしていない息子たちなので、この買い物がとてもうれしいらしい。おやつ選びを楽しそうにやっていた。ちなみに長男は300円近く残して帰った。長男らしい。次男は493円分のおやつを買った。消費税の計算の仕方もわからないのに、よく残金7円という離れ業をやってのけたなあと感心。「足りんかったらどうするつもりしゃったん?」と聞くと「返すつもりじゃったよ。」・・・・生きる力がある。
伯方に来たからには、『伯方の塩』にまつわる買い物をしたいと思っていた。そんなとき、道の駅「伯方SCパーク」に「伯方の塩アイス」の旗が・・・。1つほど購入して、3人で食べてみた。感想は・・・微妙である。すいかに塩をふって食べている感覚に近いかな?まあまずくはない。話の種にはいい。その場所ならではの食べ物というのはおいしいおいしくないに関わらず魅力的である。
今日3つ目の橋「伯方・大島大橋」ここも、橋の上を気持ちよく自転車をこいで行った。
この後、計画では大島のカレイ山展望公園のキャンプ場に泊まることにしていた。その場所は橋を渡って近くのはずであるが・・・・。なにやらはるか上に展望台のようなものが。そう、名前の通り山のてっぺんにそのキャンプ場はあったのである。橋の高さがあるので、そこから上に上れば上れなくはないかな?と考えてみたが、無情にも橋を過ぎると海まで出てしまった。ということは、海抜0メートルから、あの高い山を自転車で登ることになる。改めてパンフレットで調べてみると、なんとそのカレイ山展望公園は海抜202メートルということだった。すぐそこに見えているのに202メートル・・・・ということはものすごい急な道ということになる。子どもたちの脚力では到底無理だと判断して、予定変更。次のキャンプ場を地図を見て探す。大島を反対側まで行くことになるが、名駒キャンプ場がある。そこを目指すことにした。この時点ですでに5時45分をすぎていた。急がないと日がくれてしまう。
しかし、国道317号だらだらとした上りで、なかなか思うように進まない。時間も気になり少々あせり始めた。なんとしても名駒キャンプ場までいきたい。7時ごろにやっと来島大橋が見えてきた。ここの先の道を行くと名駒である。そう思って、名駒までの道を行きかけたが、なんと、ここは急な坂道がずっと続いていた。途中まで上りかけたが、一日中自転車をこぎ続けてきた子どもたちの力ではやはり無理だと判断。戻ることにした。戻る時に歩いている人に「この近くにキャンプ場はありませんか?」と聞くと「名駒」という返事。「他にはありませんか?」と聞くと、「昔は来島大橋の下の方に海の家などが出ていたけど・・・」と教えてくれた。来島大橋の下なら平地なので大丈夫。お礼をいい、そこを目指す。橋の下にそれらしい、場所があるのはあったが、水道やトイレなどがなく、ただの広場であった。あたりはだんだん薄暗くなってきた。
キャンプをするつもりでこの「ツーリング」をしてきたが、こうなっては仕方が無いと思い、近くのホテルに泊まることにした。そして、そのホテルのフロントに行くと、なんと今日は満室で泊めることができないという。それなら、お風呂だけでも利用できないかと聞いたが、無情にもそれもだめだという。この時ばかりは息子たちに申し訳なく思った。2日も続けてまともに宿泊地を用意できず、この時期にお風呂に入れないのである。父親として責任を感じた。
結局、さきほどの場所にテントを張ることにした。そのころにはもう真っ暗になっていた。時間は7時50分であった。水道が無い場所なので、水をなんとかして確保しなくてはならない。この場所から400〜500メートル離れたところに道の駅があったので、そこで水を確保したかったが、水を入れる容器がなかった。コンビニでミネラルウォーターを買おうと思ったが、近くにコンビニも無かった。う〜なんてところだ!(ホテルの1階がコンビニらしかったが、8時の時点でもうしまっていた)それで、仕方がないので、自動販売機で500mlのミネラルウォーターを5本購入して、その水でご飯を炊いた。海の水を沸かしてレトルトカレーをいれ、やっと、今日の夕食。サイクリングを始めて初のキャンプ場以外でのキャンプ。風呂に入れないので、昨日と同様、スプレーで体に水をかけ、タオルでふき、汗を流す。
お腹も一杯になりひょっと、空き地の入口のところに目をやると、なんと「無断使用禁止。ゴミを捨てるな。違反者は罰金1万円。」なる看板が・・・・この期におよんで、また寝床を変えなくてはならないのかとがっくりしていたら、その横に連絡先が書いてあった。こういう時には携帯があると便利である。早速、携帯を使い、連絡した。そしてここにテントを張るまでのいきさつと、困っていることを述べ、一泊させてほしいことを伝えた。すると、ありがたいことに「火の取り扱いだけは気をつけてくださいね。どうぞ、使ってください。」ということだった。助かった〜。
息子たちの寝顔を見ながら、ごめんな〜と謝った。
こうして、『しまなみ海道親子ツーリング2日目』が終わった。
本日の走行距離 65.45キロメートル。
『つぎはぎ日本一周』