@ 益田〜長門 『益田〜下関@』
2003.4.27〜28 「写真をクリックすると拡大します」
先日、萩を観光したとき、町の中を車で移動するのは、味気ないし、道が狭いのでちょっとなあという思いを持った。これは妻も同意見で、松陰神社と伊藤博文の旧宅と別邸、笠山というルートだけにした。もう一度来て、今度は自転車で町中を観光したいなあという気持ちを強く持った。
今までさそっても、サイクリングをしなかった妻に、だめでもともとで、「萩をいつか自転車で観光したいねえ。」と言うと、あっさり、「うん。」という返事。こういうことは、気が変わらないうちに下準備をして、やらざるを得ない状態にするのが得策ということで、さっそく、自転車を3台積めるキャリアを購入。1台は折りたたみのため、車の後ろに積める。これで、4台の自転車を車で移動することが可能になった。
準備も整ったところで、その日は来た。というより、早速計画をたてた。
そして、もう一つの夢、日本一周。中村真也さんのようなことはできないが、つぎはぎの日本一周(行ったところから鉄道で輪行して帰り、次の機会に今度はそこまで鉄道で輪行してそこから自転車の旅を続けるというもの)なら可能かもという思いから、妻に、
「萩のサイクリングの後、そのまま次の日まで1人で西に行ってもいいかな?」
と恐る恐る聞いてみると、
「お好きにどうぞ」
という返事。この返事、あきれてこう言ったのか?それとも・・・まあ、とりあえずはOKが出たと解釈して、いよいよ、夢のロングツーリングのスタートである。
『萩』
ロングツーリングの第1歩。朝早く出発して、自宅から萩まで自転車で行くことにした。妻と息子たちは、遅く出て、萩で合流。そこで、一緒に萩観光を楽しむという計画である。果たしてこの計画どおりものごとが進むのだろうか?
一番心配なのは私である。いくら真砂まで自転車通勤をして足腰を鍛えているからと言っても、萩までは60K m近くある。こんな長距離を行くのは初めてなので、果たしてたどり着けるのか?まあ、いざとなったら途中で3台積めるキャリアに自転車ごと乗せてもらえばいいのであるが・・・それはプライドがゆるさないのだ〜。
日本一周中の中村真也さんはの日記を見てみると、萩から益田まで、3時間ぐらいかかっている。私のようなビギナーには4時間〜5時間が必要かも、そう考えると、朝、5時とか、6時とかにスタートしなければどう考えても萩観光を楽しむことはできそうもない。朝が弱い私は、釣りに行く時以外はこんな早起きはしたことがない。自転車の魅力は、この睡魔に打ち勝つことができるのであろうか・・・・?私は、もう一つ弱いことがある。それは、こういうイベントの前の晩は興奮してあまり眠ることができないのだ。この癖は、安田小時代の同僚宮本氏の癖がうつってしまったようだ。自転車で体力を消耗するので、前日の睡眠は絶対必要なことなのだが・・・・。果たして熟睡できるのか?
4月27日
いよいよ、今日は益田から萩へソロサイクリング。これだけの距離を走るのは初めてなので、不安もあるが、思いっきり走れるという楽しみの方が大きい。朝6時に自宅を出発。途中坂が何箇所かありはしたもののなんとか走りきることができた。
途中、トンネルの横の旧道を何箇所か通ってみたが、これが正解。道は自転車には丁度いい幅で、車も通らず景色も海側なので、とても綺麗なところが多かった。
萩まで約60Kmの道のりである。10時ごろに着いたので時速15Kmの速度で進んだことになる。まあ、景色がいいところで休んだり、途中のポプラにより朝食をとったりしてきたのでこんなものなのかもしれない。後半やや左膝の内側に痛みを感じた。自転車に長く乗ると、必ずここが一番最初に痛む。こぎ方にくせがあるのか、もともと、この部分が悪いのかはよくわからない・・・。普段は全然そんなことを気にしたことはないのであるが・・・。
妻たちより、やや早めに萩に到着。妻が到着するのを待った。昨日試験運転をしてばっちりだった自転車キャリアに子ども用のMTBを2台乗せ、車の後ろに折りたたみ自転車を乗せてレグナムが到着。家族そろっての萩の町サイクリング。
萩の町はやはり、自転車に限る。とても車では自由に行動することはできない。道が狭いのである。聞くところによると、江戸時代の古地図でも今の町を見て歩くことができるほど、街並や道が保存されているめずらしい町なのだ。鉄道が、町を大きく迂回して設置されているのも町が保存された大きな要因となったようである。
家族でサイクリング |
天守閣跡 |
木戸孝允生誕地 |
萩の街並 |
高杉晋作生誕地 |
夏みかんソフト |
明倫小学校 |
有備館 |
藍場川 |
最初に向かったのは、萩城跡。ここは、入場料がいったが、中に自転車で入ってもいいのだ。萩城の天守閣跡に上って、堀を見ていると、亀がたくさんいた。親子亀が泳いでいた。子亀が、親亀の背中に上ろうと必死になっていたのが、なにかほほえましかった。後ろにそびえ立つ指月山の緑がまぶしい。
街のいたるところに江戸時代の雰囲気が残っている。木戸孝允生誕地、高杉晋作生誕地、明倫小学校などをまわる。明倫小学校の敷地内には、江戸時代からある有備館がある。ここで、他国からの修行者と試合をしたらしい。坂本竜馬も試合をしたという。途中萩名産、夏みかん・・・のソフトクリームを食べ休憩。これがうまい。
その後、藍場川沿いに自転車を走らす。ここも当時の雰囲気が川にかかる橋などで伝わってくるとてもいい感じの川だった。
こうして、親子で楽しく、自転車で萩の町を堪能した。子どもたちはややばて気味だったが・・・。サイクルコンピューターを見ると、80Kmをさしていた。萩の町を20Kmも走ったことになる。
親子サイクリングを終え、妻と息子たちを見送り、再び西へソロサイクリング。まだ、午後4時すぎなのでもう20〜30Kmは行けそうな気がして、どこまで進めるか挑戦!という気持ちで張り切って再スタートを切った。しかし、いきなり、萩を出ると峠がまっていた。峠を登るとき、さっきまでのゆっくりペースの萩サイクリングの時は感じなかった、膝の痛みが再び襲った。ピンチである。最初の峠をなんとか乗り切り、ほっとしたのもつかの間、すぐに、それ以上に長く急な峠が出現したのである。
その名も鎖峠。元気な右足をたよりにその峠をゆっくりゆっくりと登った。登っている最中、先日読んだ本の中に出ていた禅の世界と共通するような気持ちになった。ただひたすら漕いで坂を登っていく時に膝が痛いというような気持ちも忘れ、ただ漕ぐことだけに意識が集中して自分が無の世界に入り込む、そこに存在する自然物と一体になる(ちょっと大げさか?)ような感覚になることがあった。サイクリングで峠を越えることは、荒行に通ずる・・・・。
峠というのは上りがあれば、必ず下りが待っている。登りきったときの喜びはそうとうなものである。峠を登ったご褒美にあのさわやかな風を体中にうけて猛スピードで下っていける、下りがあるのだ。この時も、思いっきり下りを楽しんだ。サイクルコンピューターの最高時速59Kmが出た。
結局、この日は109Kmを走ったところで終了することにした。長門市である。駅の周りに行けばビジネスホテルがあるだろうと思い、駅に行く。素泊まり4100円の駅前のビジネスホテルが今日のねぐら。疲れた足を休め早めに就寝。
『つぎはぎ日本一周』