チーム寺子屋 
石見ライド〜壮絶な2日間〜
2006.5.13

エントリーまで
 ファンライドという自転車の雑誌を定期購読しているのだが、昨年(2005)の7月号に「石見ライド」の記事が載っていた。地元島根で開催される、日本のグランフォンド(イタリア語で大きく移動するという意味の大衆マラソン型イベント)として紹介されていた。ツール・ド・国東に参加した後、自転車イベントの面白さを実感した後だっただけに、すごく興味を持った。そし、7月には試走会があるということも知る。
 しかし、この試走会には都合で、出場できなかったことから、ずっと、2006年の第1回石見ライドには出てみたいと思っていたのだ。ファンライドの10月号には、付録のDVDにこの「石見ライド」試走会の様子までが入っていた。これを見ると、ますます参加したくなった。
 そして、今年は5月13日、14日という日程が発表された。ここにどうしても抜けられない行事が入らないように!と祈っていた。4月になり、私に関係する行事予定がだいたいはっきりしてきた。祈りが通じたのか、この二日間は空いていた。ほっとして、すぐにエントリーをした。
やはり雨
 5月13日。朝早く起きて、スタート地点であるアクアスへ向かう。心配していた通り、やはり雨。雨の中を走るというのは気分的には今一つ盛り上がらない。体が濡れるということに対してはそれほど抵抗はないのだが(どうせ、汗で濡れるということもある)一番の理由はパンクに対する不安である。
 雨の中を走ると今までの経験上パンクが多いのだ。今までに何度もパンクをしたことがあるが、奈良から京都までの途中にバラのトゲを踏んだパンクは晴れていたが、それ以外は全て雨か、路面が濡れていたときなのだ。今回はそうした心配もあり、スペアのチューブを3本用意しておいた。タイヤもこの前のツール・ド・国東の前に新しくしている。さすがに3回も4回もパンクするなんてことはないだろうと思っていたのだ。
 会場であるアクアスに到着。まだ、早かったせいもあるが、思ったほど駐車場には車が無い。外は雨が降り続いていることもあり、少し車の中で横になって休んでいた。
 そのうちだんだん車が増えて、周りでは自転車の整備など、だんだんあわただしくなってきた。私も、自転車の整備やら、スタートの準備やらを開始した。
 どんな服装で走るかというのは難しい選択だが、今日のこの天気なら、長袖、長ズボンのサイクルジャージにモンベルのレインウェアの上だけを着ることにした。結果的にはこれは正解だったと思う。ずっと雨が降り続いていたからだ。他のサイクリストたちは、下りがものすごく寒かったと言っていたが、私はレインウェアだったこともあり、寒さはほとんど感じなかった。 

 

 受付をすると、ビニール袋に入れられた地図を渡された。ここにチャックポイントでスタンプを押してもらうというのだ。きっと、地図を見なくても大丈夫だろうとは思ったが、雨の中で、この紙はぼろぼろになりそうという気持ちはした。受付で、荷物も預かってもらった。到着地点である大田で引き渡してもらえるのだ。そう、この石見ライドは今日、明日の二日間のイベントなので、着替えなどが必要なのだ。
 受付付近で、開会式を待っていると、知り合いのHさんに出会った。Hさんは昨年の試走会にも参加したということで、とても心強い。Hさんは、昨年の試走会の経験で、今年コンポを一新したそうだ。やはり坂はそうとうきついらしい。それでも昨年の様子などいろいろ聞き、今日の160キロコースチャレンジへの不安がだいぶ解消された。ただ、Hさんは風邪を引き、熱があるらしく本調子ではないということだった。 
 開会式では代表の挨拶やら、交通安全についてなどのお話があった。1日目は青い幟がコースの目印というとこで、この幟にしたがって走ることになる。
スタート
 いよいよスタート。スタートは一斉ではなく、3秒から5秒間隔で1台ずつスタートする。Hさんにできるだけついて行こうと思い、同じような場所でスタートした。
 最初にとまどったのは、幟の少なさだ。分岐点で、進むべき方向に2〜3本立っているだけなので、今進んでいる道が本当のコースなのか、間違っているか、ということが次の分岐点に行くまで分からないという感じで非常に心細かった。ここは改善してほしいところだ。少なくとも、コースの途中にも何本か置いておしいし、分岐点にも、進むべき方向に5〜6本ずら〜と並べるなどしてほしいと感じた。実際、集団がばらけ、私が途中の集団の先頭になったときに、間違えかけた。
 最初は平坦な道だったのだが、途中から三瓶山のヒルクライムのコースでもないのに、結構きつい坂。あとから石見ライドのサイトを見ると、三瓶山のヒルクライムのコースより急な坂ではないか。600メートルまで一気に上る坂だった。この坂は途中下りがなく、膝はがくがくだった。また、だんだんとつりそうになってしまい、立ちこぎでもすれば、すぐにつるという状態になった。まあ、それでもまだスタートしてちょっとだったので、なんとかペースを保って上りきった。この時にはHさんは風邪がきつそうで、私の方が先にエイドステーションに到着した。

 エイドステーションには、バナナと水ぐらいしか置いていなかったので、ちょっと残念だった。ツール・ド・国東のエイドステーションを見ているだけに、品数の貧弱さを感じた。

   

 今回も、大雨の中、しかも超ハードな上りということで、ほとんどデジカメで写真を撮るという余裕もかなったので、エイドステーションで数枚しか撮っていない。景色は本当にすばらしいところが多かったのは確かだが、ハードすぎて、それもただ見るだけで、歓声を上げるような余力はなく、ひたすらペダルをこいでいた。地元島根といえど、実際にこの道を通ったことがないことと、雨と、霧の中で、今、どの辺りを進んでいるのかということもほとんど分からないままの走行だった。それでも、82キロ地点のグリーンロード大和のエイドステーションまでは、なんとか無事に進むことができた。
 ただ、膝の痛みが出てきたことと、筋肉の疲労からか、つりそうになってはいた。
 ここで、昼食だったが、写真のとおり、おむすびだけ。・・・・つらい。ということで、隣の売店でパンとカップヌードルを食べ気分を奮い立たせた。
 カップヌードルを食べている間に、後から到着したHさんは先に出発していった。

 

パンク!
 少し長めになった昼食タイム。この遅れを取り戻そうと、その後、ハイペースで江の川沿いの道を進む。旧道に入ったところで、道の状態が極端に悪くなった。ロードバイクは路面の状態がストレートにお尻や腕に伝わってくる。そうして、がたがたと随分走っていたのだが、あまりにも振動があるので、タイヤを見ると、なんとパンクしているではないか。今までパンクをせずに持っていたのに・・・・・。遅れを取り戻そうとがんばっていたときだけに、相当、精神的にダメージを受けた。それでも、スペアのチューブを持っているので、雨の中パンク修理をする。修理している横にはダムが見えた。後で調べたら浜原ダムらしい。
 その間、どんどん追い抜かされて行く。気持ちはあせるが、仕方が無い。やっとパンクを修理して、次のエイドステーションJR粕淵駅に到着。

 

制限時間が・・
 ここはヒルクライムに挑戦できるかどうかの時間制限のチャックポイントだったのだ。なんと、その制限時間の14時に5分ほど遅れてしまっていたのだ。まさか、制限時間に間に合わないなことなど想像していなかっただけにかなりあせった。昼食時に長く休みすぎたことと、パンクの修理で使った時間が原因だ。悔やんでも悔やみきれない。折角出場したのだから160キロのコースで完走したいという気持ちはものすごく大きいのだ。
 それで、役員の方に直前にパンクをして、その修理に時間がかかったこと、パンクをしなければ、余裕で間に合っていたことなどを説明し、ヒルクライムに挑戦させてほしいという無理なお願いをした。事実、ここのエイドステーションには制限時間内に到着してそのまま、まだ休憩している人も多数いたのだ。
 役員の方も最初は認めてくれなかったのだが、私の事情を理解してくださったのか、最後には「それじゃあ、気をつけていってください」と励ましの言葉をかけて送り出してくださった。感謝である。
 ということで、いよいよ、三瓶山のヒルクライムに挑戦である。進むうちにさすがに坂がきつくなってきた。それでも、ヒルクライムを許可してくださった役員の方に迷惑をかけてはいけないという気持ちもあり、いいペースで上って行った。

なんと2度目の・・
 しかし、・・・・・しかしである。なんと、さっき修理したタイヤが再びパンクしたのである。雨の中でのパンクは予想はしていたのだが、こんな時に・・・。本当にブルーな気持ちになる。それでも、根性でパンク修理をし、再び坂に挑む。太ももの筋肉がつりそうになりながら、あえぎあえぎ、坂を上って行った。そんな時、マッサージのつもりで、膝の上に手を当てて押してみた。すると、この手が、足でこぐ力をサポートすることになると気づき、踏み込む時に手をそえて一緒に押した。つりそうになった足にはこの方法が随分助けになった。右を数回、左を数回という感じでこいだり、筋肉をほぐしたりした。パンクを修理しているときに、実走のスタッフの方が来てくださり、その後、三瓶西の原のチェックポイントまで、一緒に進んでくれた。つらい時に横にサポートする人がいて、その人と一緒に走るというのが、いかに励みになるかを感じた。自転車だけに限らずいろいろな場面で今度は私が横で一緒に走る役をしたあげれるようになりたいなあ〜などと考えていた。
 チェックポイントに到着。ものすごい逆境の中、ヒルクライムを達成した。後、50キロぐらいでゴールである。

なんと3度目の・・・
 しかし、しかしである。神様は私に、そう簡単には完走をさせてくれなかった。なんと、チェックポイントで再びパンクしたのである。しかも、もうスペアがない。3つ持ってきていたのだが、1つは穴が開いていたのだ。もう、こうなったら笑うしかない・・・というか、不思議とそのことを受け入れていた。
「神様、そうきたら、私がリタイヤすると思っているのでしょう、いやいや、まだまだ私はやりますよ」
というような感じで神が私に与えてくれた試練とでも感じたのが、それに対する挑戦へと気持ちが向いたようにパンクという事実を前向きに受け入れていた。
 こう何度もパンクするということは、絶対タイヤに異常があると思い、リムからタイヤを外して、全てチェックしたのだけれども、手で触っただけでは異常は見つからなかった。しかたなく、パンクしたチューブを修理することにした。ここではスタッフの方が手伝ってくださり、パンク箇所を見つけるためにミネラスウォーターを箱に入れてくださったり、タオルを貸してくださったりした。
 お陰で、パンク箇所も分かり、パナソニックのイージーパッチで修理することができた。ここでも、数名の方に追い抜かされた。後ろにはもうほとんどいないということだった。あと、50キロ、今度こそ、これでもってくれ!と祈りながらスタートした。
 三瓶から一気に下りなんとか前の人に追いつこうとがんばったが、前の人を見ることはなかった。この辺りはサポートの方もおらず、一人で山の中の道を進んでいた。

4度目の・・・リタイヤを決心

 ここまで、3回のパンク修理をしているため、制限時間内にヒルクライムうんぬんよりも、制限時間内に帰れるかどうかも、微妙な時間になってきた。昨年の試走会にはなかった大森銀山を回る道に入る。ここも、今までの蓄積された疲れにはきつい坂が待っていた。それでも、なんとか上っていると、何やらシューという音が・・・・。なんと本日4度目のパンク。さっき、タイヤを外してチェックしたのだから、もうパンクしないだろうと思っていたのだが・・・・・。この時点でもう完全に力つきた。雨でびしょびしょの中でチューブに糊をつけてパンクを修理するということは難しい。なかなか糊がつかないのだ。もうこれ以上精神的にももちそうにない。ここでなんとか修理できても、制限時間内には帰れそうにない、いろいろなことが頭をよぎり、ついには携帯を手にした。「リタイヤ」を決心して本部に連絡をしようとしたのだ。
 しかし、神様は意地悪というか、私をためしているというか、なんと、この場所は携帯が通じない圏外だったのだ。こうなれば、もうどうすることもできない。うすぐらくなっていく山の中を一人絶望感で打ちひしがれていた。泣きそうになるとは、こういうことなのだ。
 考えた末、じっとしていても仕方がないという結論に達し、ポンプで空気をついで抜けるまで走る。抜けたら、また空気をついで、抜けるまで走るという究極のライドを思いついた。幸い、今回のパンクは徐々に空気が抜けるタイプのものなので、なんとか、この走法で進めたのだ。それでも、やはり、空気が抜けていく間隔が徐々に早くなっていく。この方法ではあと30キロぐらいある完走はとても無理と悟る。何度、これをくり返しただろうか、そうこうしてあえいでいると、サポートカーが通った。そこで、パンクのことを言うと、最初は新しいチューブを出してくれ、これを使うといいというありがたい言葉。しかし、制限時間のこともあるので、代わりのタイヤをホイールごと貸してくれたのだ。なんとか、完走を目指してくださいと、励まされた。そのホイールで進んでいる間にパンクの修理をしてくれるということだった。

なんとかエイドステーションへ そして、完走!
 へとへとになりながらやっとの思いで最後のエイドステーションへ。随分ロス時間があったせいか、もともとの実力のせいか、なんと最後から2番目ということを知る。「が〜ん」と多少のショックを受ける。まあ、一度はリタイヤを決心したのだから順位なんかどうでもいい、これだけのアクシデントの中でも完走できるという事実を目指して走りきろうと思った。そこで、自分のタイヤにもどしてもらい、あとは下りのみ。しかし、あと15キロぐらいはある。それでもさすがは下り。疲れていても結構スピードが出る。軽快に進む。しかし、しかし、である。なんと、本日5度目のパンク。今度こそ、もうだめ・・・・と思っていたら、今度はすぐにサポートカーが来てくださり、「多少時間が遅くなってもゴールしましょう」という暖かい言葉とご自分のカーボンホイールをかしてくれた。本当にへとへとになりながら、制限時間に10分遅れて到着。それでも、完走賞のステッカーやTシャツをいただいたり、豚汁をいただいたりした。いろいろスタッフの方にはご迷惑をかけたと思うが、なんとか完走できほっとした。スタッフの皆様に感謝。あ〜過酷だった。

  

まだまだ試練が・・・
 しかし、私の石見ライド1日目はここで、すんなりとは終わらなかった。実は、この後予約していたホテルを探さなくてはならなかったのだ。早速、インターネットから印刷していた地図を・・・・と広げようとしたときに驚いてしまった。紙が水のためにぐちゃぐちゃになっていたのだ。印刷はインクジェットでしたので、極端に水に弱く、何が印刷されているのか判別できないような状態になっていた。また、この地図は随分前に予約したときに印刷しておいたものだがら、ホテルの名前もこの紙を見ればいいと安心しきっていて覚えていなかったのだ。ホテルの名前も分からない、ホテルの場所もわからないというすごい事実が疲れた私の体に追い討ちをかけた。
 それでも、かすかな記憶をたよりにホテルがあるであろう場所をロードバイクでいったりきたりしていた。随分探したが、結局見つからなかった。まさか、こんな状態で野宿?と思いかけていたところ、もう一度、ぐちゃぐちゃの紙を見た。破れないように用心深く開いてみた。すると、一箇所だけ、かすかにホテルの名前らしい文字が・・・。近くにタクシー会社があったので、そこの方にホテルの名前と思われるその文字を言うと、9号線ぞいにあるよ。という返事。9号線までの道とそのホテルまでの道を教えていただき、進む。すると、あった。なんとか、予約していたホテルが見つかり、無事宿泊することができたのだ。最後の最後までひやひやさせてもらった。石見ライド1日目だった。
 その後、懇親会に出席し、ホテルで、明日に備えてチューブの修理をして眠った。
 それにしても、すさまじい1日だった。
1日目のデータ
走行距離
 129.32キロ(サポートカーからホイールを借りた間はサイクルコンピューターは作動しないので、31キロぐらい、借りて走ったことになる)
所要時間 6時間15分 (これも、31キロの間は計算されていない)そして、パンク修理中も入っていない。
平均速度 20.7キロ これも、同上。
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