M『別府〜臼杵』2004.3.1
 久々の『つぎはぎ日本一周』ということで昨日の117キロ走行は、気持ち的にはそうでもなかったが、身体的には結構きつかったようだ。朝早く起きて、7時ぐらいにはスタートを切り余裕をもったツーリングをしようと思っていたのだが、目が覚めたのが8時すぎ。結局出発は9時前なった。観光地別府ということで、どこかに寄ろうか?とも考えたが、地獄巡りなどは以前に3回ぐらい経験したことがあるので、どこにも寄らず日本一周の距離を延ばすことにした。夜の別府の町の景色もよかったが、朝の景色もなかなかだ。振り返りながら何度か写真を撮った。高崎山の猿も以前見たので、今回はパス。

ホテルニューはやし

別府駅

別府の町
 別府から大分に向かう道は自転車も余裕を持って通ることができるようになっていた。場所によっては自転車が通るところは色を変えていたりと、とても親切なつくりだ。
 大分に行くまでの道に朽ちかけた家が何件か並んでいた。町のど真ん中である。山の中にあるわけでもないのにこのように朽ちかけている家というのは何か気になった。
 大分に着く。大きな町だ。大分城跡があったので、少し覗いてみたが城内には大分市文化会館が建てられてあった。何か少し残念な気がした。確かに土地の有効活用かもしれないが、城内にはやっぱり城が似合う。大分城跡の横の公園に行くと鳩が人を怖がるどころか、逆に寄ってきた。
 高架の壁面が鮮やかな場所に来た。普通なら落書きなどがあってもおかしくない場所なのだが、このように素敵な絵が描かれているとさすがに落書き犯も遠慮するのであろう。いい方法だなあと思う。

広い歩道

朽ちかけた家

大分城

大分城跡U

寄ってくる鳩

こんなに綺麗だといい
 再び先へ進むと、危うく赤信号で交差点に進入するところだった。なんと、街路灯の支柱でほとんど歩行者用の信号が見えなくなっているのだ。歩道で自転車に乗っているときには歩行者用の信号機を確認しながら進んでいるので、赤というのに気がつかなかったのだ。危ない危ない。それにしても、この信号機は本当に問題があると思う。すぐに改善すべきである。
 何本か大きな川があったが、その一つでおじさんたちが魚釣りをしていた。たぶん鶴崎橋ではないかと思う。反対側だったので、何を釣っているのかは聞けなかったが何だろう。

危ない信号

つり人
 197号線を東に向かって進む。佐賀関町に入る。今日は風が強いためか、海の表情はなんとなく日本海のそれに近い感じがした。海沿いを走り、佐賀関の道の駅に到着。ここで、昼食をとろうと考えていたが、休憩所という感じだったので、もう少し我慢をすることにして先へ進む。高い煙突が見えてきた。日鉱金属製練所である。思った以上に大きな工場で、遠くからでもよく見えた。少し進むと佐賀関小学校が見えた。ちょうど給食の時間らしく、エプロンを着た小学生が準備をしているのが見えた。

佐賀関道の駅

 結構荒れていた

 佐賀関港

 佐賀関港
 田之浦というところだと思うが、何か見慣れないものを発見。トロッコでもないし、ロープーウェイでもない、けれど、みかんか何かを山から運んでくるのであろうとは予測ができる機械?乗り物である。何箇所もあったが、その中の一箇所でおじいさんが作業をしていた。一度通り過ぎたのであるが興味があったので、逆戻りして話を聞いてみた。おじいさんは快く対応してくれて、いろいろ教えてくれた。
 この乗り物は『モノラック』というもので、今から25年ぐらい前に導入された、山からみかんを運んだり、山へ肥料を運んだりするものということだった。レールには歯車とかみ合うようにぎざぎざがついており、相当急な坂でも進むものらしい。45度ぐらいの坂も実際にあるそうだ。おしいさんは、カバーがかかっていたエンジンの部分も見せてくれた。最近は後継者不足で、だんだんみかんを作る人が少なくなったそうだ。「まじめに作ればいいみかんができるんじゃが・・・」というおじいさんの言葉が印象に残った。お願いして写真を撮らせてもらった。聞くのを忘れたが、きっとこのモノラックに人が乗って操縦するのだと思う。急斜面にこのレールがついていたが、これに乗って山を登るのは結構スリルがあるのではないかな?と思った。

いい雰囲気

 モノラック

 モノラックU

こんな急な坂も

 道端に
 さて、今日の観光地と考えていた『臼杵』この町は石仏が有名であるが、ガイドなどを見ると町並みもなかなかいいということだった。
 時間的にはぎりぎり町並みと石仏(少し離れている)の両方を見ることができるかな?というぐらいの時間になっていたので、少し迷ったが、最初に町並みを見ることにした。

臼杵城跡

臼杵城解説

三重塔

稲葉家下屋敷
 いつものように目印になる臼杵城跡に向かう。ここは、城跡しかなく、城内には神社や公園ができていた。そこから眺める町は歴史を感じさせる風景ではあるが、どこに仁王座歴史の道があるのかなどは確認できなかった。城跡を降りて町を進むが、同じような通りがたくさんあり、迷ってしまい、なかなか目的地に着くことができなかった。それでもガイドとにらめっこをしながら三重塔がある龍源寺、旧藩主の屋敷「稲葉家下屋敷」仁王座歴史の道と行くことができた。特に旧真光寺あたりの町並みはすばらしかった。石畳が周りの建物ともマッチしていて、杵築でも感じたことだが、江戸時代かどこかへタイムスリップしたような気がした。臼杵=石仏というイメージであったが、ここの町並みも絶対お勧めである。
仁王座歴史の道『旧真光寺付近』
 時間を見ると午後3時をすぎていた。出発前にインターネットで検索していた電車にちりんシーガイヤ12号の時間は午後4時56分ということで、まだ2時間足らずの時間があった。臼杵磨崖仏までは6キロちょっとあるということで無理をしたら行けなくはない時間である。ただ、輪行前に自転車を分解したりすることも考えると、せっかくの石仏観光もゆっくりとはできそうもない。また、よく考えてみると、まだ昼食をとっていなかった。そこで、今回は、やや早めであるが、観光を終え自転車を分解してあとの時間を駅の近くの喫茶店で昼食を食べて電車を待つことにした。石仏は次回の『つぎはぎ日本一周』の最初に挑戦することにした。
臼杵駅周辺 ベストポジション 宇佐についた〜
 石仏は次回となったが、駅前に石仏のレプリカが作ってあったのでそれで今回は我慢。
 通勤・通学の時間と重なっているはずであるが、思ったより駅には人がおらず気兼ねなく輪行することができた。電車の中にも輪行バックのベストポジションの一番後ろの座席と壁の間におけ、宇佐までの1時間半近くゆっくりすることができた。
 宇佐からは車で益田まで。もうひとがんばりした。

本日の走行距離 73.41キロ
臼杵〜宇佐電車賃(特急料金含む) 3190円
関門トンネル料金  200円
宇佐駅駐車場料金 800円

  















『つぎはぎ日本一周』