『諫早〜島原』
2006年4月2日
 2006年になってから何度かチャンスはあったのだけれど、雨がひどかったりしてまだ、『つぎはぎ日本一周』に行っていない。今までの続きということで、行けそうなところ、島原方面、臼杵方面、尾道方面の天気をインターネットで調べてみた。しかし、どこも4月2日は雨の予報。それでも、詳しい予報を見ると、島原は午前中が小雨で、後はなんとか回復しそう。ということで、島原方面に決定。昨年の8月に諫早まで行っているので、そこからスタートだ。小雨という予報だが、できたら降らないでほしいと願いながら・・・。
 前の日からスタートするようになって、随分たつが、今回のスタート地点の諫早まで、なんと370キロぐらいもある。これだけ遠いとやはり、疲労度を少なくすることと、移動の時間を少なくすることが大切になる。最初のころはできるだけお金を使わないようにということも『つぎはぎ日本一周』ではなんとなく重要項目に入っていたのだが、最近はそれよりも、先にあげた疲労度軽減と時間短縮を考え、高速を使っている。それでも、この前ETCにしたことにより、深夜割引を活用できるのでありがたい。ちょうど、深夜に移動するので、この割引がばっちり活用できるのだ。この深夜割引というのは12時から4時までに高速を使用しているか、入るか出るかすることで、3割引になるというものだ。3割というと、結構大きい。ありがたい制度だ。

  

 さて、息子たちとつれあいは、夕方から友達の家に食事に行っているので、今回は夕食は出発してから食べることにして、早めの8時前にスタートした。370キロはやはり随分時間がかかった。休み休みではあるが、深夜に大村湾パーキングエリアに到着した。ここで、朝まで車の中で寝てから諫早へ向かう予定だ。車の中で寝るのも結構慣れてきた感じで、少々狭いが、割と違和感なく熟睡できる。長い距離運転してきて疲れているからだろう。
 朝、7時に目をさまし、外を見ると、雨は降ってはいなかったが、濃霧。いつ降り始めてもおかしくない天候だった。まあ、雨という予報だったので、贅沢は言えない。このまま、降らずにもってほしいものだと思いながら、大村湾パーキングエリアをスタートした。
 諫早ではいい場所に無料駐車場がなく、駅前をぐるぐると車で何度も回った。仕方がなく、少しはなれたところに公園の駐車場があったので、そこにとめ、スタートした。

  

 少し行くと、公園の中に眼鏡橋が見えてきた。本来は、この公園の横を流れている本明川にかかっていたそうだ。川幅を広げる工事をするときに、爆破する予定だったところ、市民から保存をしてほしいという声があがり、ここに移築したというものだそうだが、もともとは1839年に造られた橋というだけあって、とても立派なものだ。国の重要文化財だそうだ。
 雲仙市に入り、愛野というところで、南の方向に進むことにした。島原半島を南側から周り、島原付近で宿をとろうと考えたからだ。愛野から国道57号のちょっとした峠をとおり、下っていくと、松原が見えてきた。ただ、霧のためにあまりはっきりとは見えなかったが、霧がなかったら、そうとう綺麗な景色だろうと想像できた。その松原付近は千々石海岸というところで、ちょっと休憩がてらに海岸に寄ってみた。そこは、コンクリートの防波堤のようなものが作ってあり、砂浜を想像していただけに、ちょっと残念だった。

 

 そこから少し進むと、桜が満開で、お花見をしているところがあった。橘神社というところらしかったが、そこら辺りを通っていると、雷が鳴り始め、いきなり、ぽつぽつと雨が降り始めた。普段なら、このくらいではストップしないのだが、なんとなく、今回はいやな予感がして、向かいの閉まっていた店の軒下に入って雨宿りをすることにした。すると、入ったと思ったらすぐに、どしゃぶり。あのまま進んでいたら体中がぬれていたと思う。ラッキーな判断だった。そこで、休んでいると、いきなり、中からおばさんが出てきた。お互いがびっくりして大声を上げてしまった。雨宿りをしていると分かると、おばさんも、親切に「どうぞ、どうぞ!」と言ってくれた。そこで、少し休んでいると、雨も止み、再び出発できる状態になった。それでも、用心のために携帯用レインウエアを着てスタートした。これが、正解。雨が降った後は、水溜りがあり、ロードバイクにはマッドガードをつけていないので、水がはねて服にかかるのだ。レインウエアなら、それでもなんとかなる。これが普通の服だと、びしゃびしゃのはずだ。
 その後は雨は降らなかったが、相変わらずの濃霧。行きかう車は全てヘッドライトをつけているほど、暗いし、視界も悪い。10メートル〜0メートル先が見えないくらいだ。事故に巻き込まれる可能性もあるので、テールライトを点滅させ、できるだけ目立つようにして進んだ。

  

小浜温泉
 小浜町に入っていくと、湯気があちこちから出ていた。驚いたのは歩道の側溝プレートの間から湯気が出ているところもあったこと。ここは本当に温泉地らしい雰囲気がいっぱいのところだ。後で調べてみると、昔は砂浜のあちこちに温泉がわいていて、そこで入れたというところだそうだ。
 ちょうど、お祭りをやっているようで、出店が出ていたり、神輿のようなものがあったりした。極めつけは、広場でドラゴンと武士が戦う場面を再現しているような集団がいたこと、面白そうなので見ていると、なにやら大砲のようなものが出てきた。周りの人が耳をおさえるようなしぐさをしたかと思うと、「ドーン」ものすごい爆音!がその大砲から聞こえてきた。少しすると、どこかのガードマンのような人がテロか何かと間違えたらしく、様子を見にきていた。

    

 海岸線を通るのだが、ところどころアップダウンがある。丘を上りきった後の下りに見えてくる海は好きな景色の一つである。視界がぱっと開けたようになり、上りきった後の爽快感ともあいまって、この景色が好きなのだ。まあ、下りというのは、上りに比べ景色を見る余裕もあるということなのかもしれない。

 

 加津佐町に入ると、なにやら面白い形をした岩が見えてきたので、そこで写真をパチリ。そして、もう少し行ったところにパーキングエリアのようなところがあったが、その裏にいい感じの滝が見えた。津波見孝子の里広場というところらしい。
 雨は落ちてきてはいないのだが、路面はずっとぬれている。経験上、こういうときにはパンクが起こりやすいのだが、幸いにも、今回はパンクをぜずにいる。この先もパンクをしないように祈りながら進む。水を随分はねてビアンキも泥まみれといった感じだ。

  

 少し行くと、再びパーキングエリアが見えてきた。ここには目を引くモニュメントがあった。その形は釣り針をモチーフにしたものだと思うが、なかなかかっこいい。
 このあたりから、霧も晴れ、太陽も徐々に姿を見せ始めた。さっきまで、水たまりがあった道路もあっという間に乾いてきたのである。これだけのことを人間がしようと思うと大変だが、太陽はすぐにやってしまう。自然の力はやっぱりすごい。

   

 天気もよくなったところで、海のみえるところで昼食をとることにした。『つぎはぎ日本一周』では定番のコンビニ弁当だ。本当にこれがあるので、助かる。10年〜20年前だとなかなかこうは行かなかったのではないかと思う。こんな感じで食事を取るとしたら、せいぜいパンか何かだっただろう。コンビニに感謝。

 

原城跡
 島原といえば、1637年に起こった島原の乱を外す訳にはいかない。そのゆかりの地の一つに南有馬町の原城跡がある。ここは島原天草のキリシタン農民と浪人衆が、幕府の大軍を相手に約3ヶ月もたてこもり、最後には天草四郎とともにみな殺しにされた場所である。
 そうした場所であるが、あれから370年、現在はのどかに桜は満開。次の週には原城一揆祭りというすごい名前の祭りがあるということで、原城の張りぼてを地区の方々がクレーンなどを使って大がかりに作製中だった。この様子を地元のテレビ局だと思うが、取材もしていた。
 天草四郎のお墓と、弾圧された人々に手を合わせ、原城を後にした。

   

  

 潮の干満の差が大きいこのあたり、船が土の上にどかっとあるという景色というのは日本海側の私の住んでいる益田ではまず見ることがない景色だ。有明海といえばムツゴロウを思い出すが、こうした干潟のようなところが多いのだろう。後ろの家々の雰囲気も気に入ったので、デジカメでパチリ。進んでいくうちに普賢岳も見えてきたので、ここでもパチリ。

 

普賢岳
 島原といえば・・・のもう一つ、それは普賢岳の噴火。平成3年6月の火砕流で警戒中の消防団員、警察官、取材中の報道関係者など40名もの方がお亡くなりになったことは記憶に新しい。
 その爪跡を今に残す「道の駅みずなし本陣ふかえ」に到着した。ここは土石流で埋まった家屋をそのままの状態で保存して展示してあるところだ。こうした記念館的な道の駅というのも、珍しいのではないかと思う。土石流のすさまじさが伝わってくる展示だ。避難勧告が出ていて、幸いにも土石流では人的な被害はなかったということだった。

 

 その道の駅から少し行ったところに、雲仙岳災害記念館がある。ここは入場料が1000円と少々高かったのであるが、せっかくなので、入場してみた。コンパニオンの人数が、入場者の人数の割りに多い気がしたが、その分説明などとても丁寧にしてくれた。特に、普賢岳の火砕流や噴火などの様子を映像で見せてくれるUSJに負けていないのではと思われる疑似体験コーナーは迫力があった。島原半島に住んでいる人たちは本当に恐ろしかっただろうなあと思う。

  

島原
 この『つぎはぎ日本一周』をするようになって、とても役にたっている本がある。それは「歩く旅シリーズ」山と渓谷社が出版している旅行ガイドだ。その中の「九州ちいさな町小さな旅」を今回も参考にしたのだが、島原のことが書かれてあった。その中に「旨い水があふれる町」という紹介があった。ここは、1792年の雲仙普賢岳の噴火以来、清水がわく町になったといのだ。主な城を巡るのも『つぎはぎ日本一周』では定番になっているので、当然島原城は行くのであるが、その他、このガイドにあったように湧き水を巡ってみることにしたのである。
 まずは、島原城へ。時間はもう午後6時前なので、当然城の中へは入れないとは思ったが、周囲だけでも見てみたいと考え、行ってみた。満開の桜の中、普賢岳をバックにそびえ立つ島原城は、とても堂々としていた。
 湧き水とも関係があるが、島原には武家屋敷通りがあり、その通りの真ん中に溝がある、綺麗な水が流れているのだ。この雰囲気も他にはない感じでとても素敵なところだった。確かに流れている水も綺麗。すぐ近くの中学校の門にも、由緒正しいらしい古い門が使われているのが面白かった。

  

    

 鯉が泳ぐ町というキャッチフレーズの通りもあったので、そこに行くことにした。鯉が泳ぐ町といえば、島根県なら津和野が思い浮かぶのだが、ここ島原も実はそうなのだ。津和野よりスケールは小さいが、とても綺麗な水に綺麗な鯉が泳いでいた。これも、湧き水が豊富に出るからなのだろう。その他にも湧き水関係の場所があるのであるが、時間も遅くなってきたので、宿泊地を探すことにした。今日は、手っ取り早く、駅の観光案内所に行き、ビジネスホテルの場所を聞いた。
 この『つぎはぎ日本一周』ではときどき満員で泊まれないことがある、暖かくなったとはいえまだ、4月、野宿をするわけにもいかないので、心配しながら、紹介されたホテルに行ってみた。フロントで聞くと、大丈夫ということだった。ほっと一安心。
 近くのスーパーで夜の食事を買って来て部屋で食べた。『つぎはぎ日本一周』のこのホテルでの時間も好きなものの一つ。何をするわけではなく、ただ、時間があるというこの非日常的なぽっかり空いた時間がいいのである。何もしなくていいという贅沢。普段はなかなか・・・。
 明日は、どのルートを行こうかなあ〜と考えながら眠りについた。

    

本日の走行距離 99.91キロメートル
     アベレージ 18.3キロ
     最高時速 54.9キロ
費用  高速代 小郡〜諫早     4250円
     雲仙岳災害記念館入館料 1000円
    




















『つぎはぎ日本一周』