『西広島〜安芸幸崎』
2005年9月12日
 息子たちが学校で、私が代休の月曜日というのは『つぎはぎ日本一周』をするのに、一番気兼ねがなくできる。ただ、そうは言っても家族に心配をかけるし、やっぱり趣味は趣味。本当に家族には感謝、感謝なのだ。
 と、言うことで、そうした貴重な月曜日の代休。『つぎはぎ日本一周』を実行する。今回はたった1日。前回の伊万里〜諫早は3日間だったので、よけい"たった"という感覚になるが、1日でも工夫によっては充実したものになる。それは、今までの経験から分かっている。
 いかに充実したものにするか、コース選び、鉄道での帰り道の確保、見学場所の設定など、それがこの旅の醍醐味でもある。なんと言っても一人旅だ。どんなコースを走っても自由だし、どこまで行って、どこに寄ろうがそれも時間の許す限り自由なのだ。そして、責任は全て私自身。自由と責任ということをよく息子には話すのだが、まさに、それを体感する旅なのだ。道を間違えたら、自分の責任で戻るのか、その道を行き別ルートで進むのかなど自分で判断するのだ。まあ、こうしたアクシデント自体を楽しみながら旅をすすめるようなところ、それこそが一人旅の面白いところだと言えなくもない。前回も宿が確保できず、野宿をしたが、そうしたことが面白いこととして記憶にインプットされている。レースも楽しいが、やっぱりこの『つぎはぎ日本一周』が今現在の私にとって、一番のホビーとなっているのは間違いない。
 今回は、1日のルートということで、こういう時のためにあえてとっておいた、山陽側へ行くことにした。
 山陽側は下関から西広島までは走破しているので、この続きである。帰りはだいたい100キロを目標として竹原あたりかな?と大まかな予想を立てていた。
 いつものように、前日の夜中にスタートした。今回は広島ということで、安心していてスタート自体が夜の11時を過ぎてしまった。六日市〜岩国へ抜ける187号線を選んで進んだ。というのも、先日の台風で錦川や錦帯橋が相当な被害があったということをニュースで聞いていたので、その状況も夜ではあったが分かる範囲で知っておきたかったという気持ちも働いたからだ。しかし、その被害は予想以上のようで、日原から六日市へ進む掲示板に、錦川沿いの町、美川町あたりが、全面通行止めとあった。そして、迂回路なしという、予想外の標示。今更引き返すのもつらいものがあるので、六日市から五日市までは高速道路を使うことにした。「被害にあわれた方、お見舞い申し上げます」
 今日の仮眠場所(駐車場)を探すために、五日市から一度広島の街中まで行ったのであるが、適当なところがなかったので、逆戻りをして、国道2号線のバイパスにある佐方サービスエリアを選んだ。いつものように助手席を一番前に出して後席とで、フラットにしてそこで寝た。
 朝7時にそこを出発して、西広島駅へ向かう。そこには30分100円という高い駐車場がありはしたものの、安いところはなく、いろいろと近辺を探し回った。しかし、昨夜同様いいところは見つからず、最初の30分100円の場所に停めることにした。2千円ぐらいいることになる。う〜この出費は痛い。が、仕方がない。その分しっかりツーリングを楽しもう。 

 

 8時10分ごろ、西広島を出て、最初に向かったのは平和公園だ。ここは、修学旅行の引率などで、何度か来たこともある場所であるが、『つぎはぎ日本一周』としても是非寄りたかった場所である。
 今回は資料館には入らなかったが、原爆ドームのすぐ近くまで行ってみた。建物の内部を外側からではあったが、じっくりと見てみた。瓦礫がそのままの状態で残されていた。(内部に入ることはできない)
 ここは、世界遺産の一つであるが、それは、イタリアの世界遺産に比べれば歴史もあさく、建物のスケールも全然違うのであるが、原爆を落とされた場所として、平和の尊さを世界中に訴える場所としてメッセージが凝縮しているものとして登録されたのだと思う。こういう世界遺産もとても意味がある。
 日本は戦争自体を憎み、平和を守っていくという強い意思の出発点と言える象徴的な建物であるし、原子爆弾の廃絶と、恒久的な平和を希求するメッセージを世界中に発信していく象徴的な建物でもある。大切に守っていく義務があると強く感じた。この場所を忘れて平和は語れない。

  

  

 平和公園をあとにして、次は『つぎはぎ日本一周』では恒例のお城。広島城へと向かった。その途中、基町クレドというおしゃれなスペースに寄る。ここはなかなかかっこいい。

  

  

 今まで何度となく、広島へはショッピングをしに来ている。しかし、広島城には来たことがなかった。今回初めて広島城を訪れて、思ったより立派なお城だと感じた。天守閣に行くまでの道も公園のようになっていて、いい雰囲気だった。お城というのは何ともいえない雰囲気がある。この感じが好きで、できるだけ、『つぎはぎ日本一周』では訪れるようにしている。広島城もその気持ちを強くすることができた。
 広島を過ぎ、国道2号線を行くルートもあったのだが、呉や音戸にも行ってみたいと思っていたので、31号線を南下していくことにした。まあ、この方が沿岸部を通ることにもなり、より『つぎはぎ日本一周』らしいという気持ちもあった。
 この辺りの道ですばらしいなあと感じたのは、きちんと車道側に「原付・自転車専用道」としてゾーンが引いてあることだ。これはありがたい。普通歩道側に自転車・歩行者通行可という標識で、自転車道が設置されていることが多いのだが、これだと、歩行者もそこを通り、非常に危険で、自転車道として機能していないところが多い。しかし、車道側にできていると、段差もなく、非常に快適に走行することができた。ただ、難点は、駐車する車がときどき、このゾーンの邪魔をするかっこうになっているということか。それでも、そういうマイナスを差し引いても、車道側に「原付・自転車専用道」を設置するのはみんなにとってプラスに作用すると思われる。ここで、ポイントは原付も入れたということにあるような気がする。自転車専用道だったら、もっと、もっと違法駐車が増えるように思うが、利用頻度の多い原付の道もかねているとなると、なかなかそのレーンに駐車をするのは勇気がいると思われるからだ。全国にこの「原付・自転車専用道」の設置が広がるといい。
 呉の市街地に入る前の魚見山トンネル、普通トンネルというのは、外が熱気でむんむんしていても、どこかひんやりとしている、という場所が多いのだが、このトンネルは中の方がむっとした。湿気も多いし、気温も高いようだった。不快感全開だったので、早く抜けたいと思うトンネルだった。う〜んなぜだ?
  
 呉といえば、今はなき、呉ポートピアランドというイメージが強かったのであるが、途中、その跡地らしいところを通った。ここはポートピアランドを他のことに利用しているようだった。また、呉といえば、造船所ということもイメージしていたのであるが、行って見て初めてここが、戦艦大和を造船したところということを知った。もっと、事前に勉強しておくんだった。造られた場所、造船所はとてつもなく大きく、現在も巨大船の整備や造船をしていた。近くでは見れなかったが、遠くからでもその迫力は十分に伝わってきた。ちなみに写真の船の下あたりに見える小さな白いものが作業をしている人、そのくらい大きな船だった。

      

 そして、ここ呉には海上自衛隊の基地もあり、海上自衛艦が数隻姿を見せていた。その横には、潜水艦も・・・。また、道沿いにはいろいろな工場があり、レンガ造りの歴史を感じさせる建物も点在していた。さらに進むと、これまた、スケールのでかい工場が見えてきた。未来少年コナンのインダストリアを彷彿とさせるような工場群である。

   

 487号線を音戸に向かって進む。音戸といえば音戸大橋。ここの螺旋状の道は昔から一度見てみたいなあと思っていたところだ。その場所に到着した。意外に小さな橋だ、それでも、やはり螺旋状の道は印象に残った。

 

 海岸線を走る185号線。この道は海のすぐ近くを通っているところが多く、海を見ながらの走行となる。これが、とても気持ちいい。海の青、空の青、気分爽快。また、瀬戸内の海は小島が点在しており、この島々がまた、風景に変化と深みを与えているように思う。右手に安芸灘大橋が見えてきた。仁方という町だ。この橋は結構大きなものだった。一度山手を走り、その後再び海岸沿いへ、そこで、本日の昼食をとることにした。少々疲れも感じていたので、どこかの食堂か、喫茶店にでも入ろうかと思っていたのだが、適当な場所がなく、結局いつものようにコンビニに入って弁当を購入した。それでもクーラーがきいていて、涼しい空気の中に入ったことで気分的には随分疲れがとれたように感じた。岩戸というところだったと思う。ここの港はヨットも浮かんでいて、なかなか絵になる場所だった。海の近くで弁当を食べようと思ったが、日陰がなかったので、釣りのときのように防波堤の上で太陽がぎらぎら照りつける中で食べた。これはこれで、なかなか気持ちよかった。

      

 再び海岸線を進むと、海に突き出したような建物が見えてきた。ここは漁に出るために利用している家のようで、人間くさくていい感じだった。大芝大橋も見えてきた。この橋もなかなか綺麗。左手に白いせんべいのようなものが見えてきた。よく見ると貝殻だ。このように重ねて紐でつるすようになっているのには理由があるのだろうが、不思議。魚の産卵場として活用しているのかな?それとも・・・。う〜ん誰か教えて。
   
 三津に入った。三津といえば、とても思い出深いところだ。私が新採2年目の秋、三津小学校の公開研究会に参加したことがある。この研究会は斎藤喜博の考え方を継承して、その流れで公開をした会だった。このときの2年生の表現「かさじぞう」に感動して、それが教授学にのめりこむこきっかけとなった、私にとって重要な場所なのだ。
 このルートを通るときは、是非三津小学校に行ってみたと思っていた。三津小学校は海岸沿いの道にはなく、ちょっと山側に入ったところにあった。三津小を見つけ、懐かしい気持ちになった。きっと昨日が運動会だったのだろう。学校はしまっていた。

  

 三津をすぎ、竹原へ到着。予定では、この辺りで本日は終了と思っていたが、まだ時間的に余裕があったので、もう少し進むことにした。右手に発電所?が見えてきた。ここもなかなかの迫力。三原まで行こうか、とも思ったが、西広島の例もある、あまり大きな町の駅だと、安い駐車場を探すのが大変になると考え、二駅前の「安芸幸崎駅」までとした。午後3時30分だった。

  

 無人駅だったので、気兼ねなく、駅の中で自転車を分解して輪行バックにいれ、4時26分の列車が来るのを待った。列車に乗って西広島へ向かう。いつものように、電車の中で寝て疲れをとる。このうとうとする時間が心地いい。乗り換えなどがあり、結局西広島には午後7時前に到着した。

  

今日のルートもなかなか見所があり、楽しかった。次はどこに行こうかな〜。
本日の走行距離 110.87キロメートル
費用  鉄道 安芸幸崎〜西広島 1450円
     駐車代             2200円
     高速代 六日市〜五日市 2250円
    











『つぎはぎ日本一周』