『伊万里〜宮の浦』
2005.8.7
『つぎはぎ日本一周』前回、伊万里まで来ていたので、今回は、その続き。どういうルートを通ろうかと思案した。というのも、今まではどちらかというと、JRに沿った国道を進んで行くことが多かったのだが、ここ松浦、平戸あたりは、単純に海岸線を線路が通っているわけではなく、いろいろと交錯しているのだ。また、平戸島には鉄道が通っていない。それでも、最西端という名のつくようなところには、日本一周なので、できたら通ってみたいと思っている。平戸島や生月島にはやはり行ってみたい。

 まあ、とにかく伊万里からスタートするのは決まっているので、とりあえずそこまで行って、それから平戸島方面へ向かおうというとってもアバウトな感じで今回の『つぎはぎ日本一周』は始まった。そして、今回は家族の協力で、ありがたいことに3日間も連続していけることになったのだ。これも、『つぎはぎ日本一周』では初だ。感謝。
 ということで、この3日間は相当距離が稼げそうでもあり、なんとなくではあるが、長崎ぐらいに行きたいなあと出発前には思っていた。
 8月6日は、高津川の花火大会。家族で、この花火大会を見に行って、それから『つぎはぎ日本一周』の準備に取り掛かった。ということで、結局我が家を出発したのは、夜中の12時前になってしまった。
 最近の『つぎはぎ日本一周』は、今回のように、前の晩からスタートすることが多い。だんだん出発地点が遠くなってきているので仕方が無い。また、高速道もしっかり活用している。以前は、できるだけ高速は使わなかったのであるが、ここまで遠くなると、料金よりも時間の方を最優先に考えてのことだ。また、高速道は運転しやすいので、疲労も少なく、つぎの日の自転車走行にもいい。そして、仮眠の場所も高速道のサービスエリアが最近の定番だ。ここなら、同じような人も多く、店も近いし、トイレもある。気兼ねなく眠ることができる。今回の仮眠場所は金立サービスエリアとなった。午前3時半ぐらいに眠りについた。座席をフラットにして眠るのだが、この方法にだいぶなれてきたからか、結構よく眠れた。
 次の日の朝、6時ぐらいから行動を開始しようと考えていたが、さすがに2時間半睡眠ではきつく、6時45分ごろに目覚めて、行動を開始した。金立から伊万里まで行くのだ。車にはナビがついている。知らない場所に行くのには、本当に助かる。これのおかげで、迷うことなく伊万里駅に到着。早速、3日間置いておいても大丈夫そうで、しかも安い駐車場はないか?と探す。駅から150メートルぐらいのところに駐車場発見。1日1000円だったので、まあ、許容範囲ということで、ここに車を止めて、出発した。出発時刻は8時45分ぐらいだったように思う。

  

 204号線を西に進む。地図上では海岸沿いの道なのだが、実際は海はほとんど見えず、街中や山道を走る感じだった。ややアップダウンがあったが、最初はまだ元気がいっぱいなので、結構高速で走った。
 佐賀から長崎へと入ったが、新しい地へ入れたようでなんだかうれしい。途中、松浦水軍のレリーフが兜が飾ってあるちょっとした駐車スペースがあったので、少し休憩した。
 長崎に入ってからは海が見える道が多く、寝不足でぼーっとしていた頭と体がしゃきっとしてくるのがわかった。途中、大きな建物があると思ってよく見ると、火力発電所だった。三隅にも石炭を使った火力発電所があるが、それよりも大きい印象も受けた。

   

 走り始めておよそ2時間がたった。伊万里から40キロぐらい進んだことになる。最西端の駅、たひら平戸口駅に到着。早速記念撮影をして、平戸大橋に向かう。以前にも書いたが、橋というのはやはり魅力的だ。ここでも記念撮影をした。有料道路なのであるが、自転車は無料で橋を渡ることができた。橋を渡ると、平戸の町を目指す。
 最初は平戸城。城というのは高い場所にあり、その町を見渡すのに最適なのだ。城などの昔からの文化遺産がある場所というのは、建物は当然そうなのであるが、その周りの木々や通りなども古いものが多く、建物の古さと調和がとれてい全体の雰囲気がとても素敵なところが多い。平戸城に登る石段もとてもいい雰囲気だった。
 天守閣にのぼり、平戸の町を見て、だいたいどのような町なのかを地図と比べながら確認する。つぎに向かったのはオランダ橋、石橋で、なかなかいい雰囲気の橋だ。橋の水面を見るとなにか多くの魚が鼻を突き出している。よく見るとアジゴ。こんな街中に、こんなにたくさんのアジゴがいるなんて、何か不思議。

    

   

 さて、つぎに向かったのは、教会とお寺の見える小道という場所に行った。ここの駐車場までの40メートルぐらいの小道が激坂。ツール・ド・国東の峠の激坂にも匹敵するほどの坂だった。根性で上りきり、駐車場に自転車を置いてその石段になっているところを自転車を担いでさらにあがった。ひょっとしたら、道がつながって自転車で下れるのではないかと考えて自転車を持っていったのであるが、その先も石段になっていたので、写真を撮ってUターンした。ここからの景色はなかなかいい感じだった。

 

 次に向かったのは、平戸で聖フランシスコザビエル記念聖堂。そこの、200メートルぐらい手前の駐車場に自転車をとめたのだが、そこには荷物満載のグレートジャーニーと同じく荷物満載のビアンキが2台先に止めてあった。同じ趣味の人に出会うとうれしくなる。そこから徒歩で200メートル上って行く途中、地下足袋を履いた(ここが妙に印象に残ったもので・・・こういう言い方でごめんなさい)母親と息子と思える二人組みに出会った。こういう組み合わせで自転車の旅というのはあまり結びつかなかったのだが、地下足袋というところがもしかして・・・と感じたのは事実である。でも、そのときは声をかけずにそのまま、聖フランシスコザビエル記念聖堂を見に行った。ここから帰って駐車場へ行ってみると、さっきの二人が自転車に乗ってスタートするというところだった。うれしくなって、思わず声をかけた。
 聞くと、大阪の方で自転車で旅をして16日目という母、息子の親子だった。息子さんは高校1年生ということで、本当にこのパターンは珍しいなあ〜、うらやましいな〜と思ってしまった。こうした自転車の旅は初めてということだそうだが、二人ともとても生き生きとしていて、すてきな親子だった。お母さんは若いころから、こういうことがしたかったそうなのだが、できないでいたのだが、息子さんが高校1年になったということで、さそったら、息子もその気になってくれ、今回の旅を始めることができたそうだ。3日に1回はホテルなど、きちんとしたところに泊まり、それ以外の日はいろいろなところにテントを張って寝るという。こうした旅を続けているということで、すごいな〜と感心するばかりだった。なぜ地下足袋なのか?・・・これが楽ということらしい。16日も自転車に乗り続けている間に考え付いた工夫とのこと。そういわれてみれば、楽そう。
 がんばれ〜!

    

 平戸の町をぐるりと回っていたら、どうも、今晩はお祭りのようで、ステージでリハーサルをしていた。きっと、花火などもあるのだろうなあ〜と思ったが、先へ進まなくてはならない。街中に、平戸温泉うで湯・あし湯というところがあり、さっそく、足をつけてみた。暑い中での足湯だったので、そこまでの感動はなかったが、これが、寒い日だったら感動ものだろうなあと思う。それでも、疲れがぬけるようで、気持ちもやすまった。
 昼食はちゃんぽんを食べた。

   

   

 生月島の先端まで行きたいと考え、まずは生月橋まを目標にスタート。再びアップダウンが始まる。伊万里から平戸までのペースに比べのんびりペースで進む。やはり、景色は最高である。
 途中、枝が落ちていてそれを踏んでしまい、リアの車輪にまきついてしまった。結構しっかりした枝だったのだが、こんな枝でもまきついてしまうのだ。危険回避の想定の中にこういうことも起こるということをインプットしておかないといけないと思った。昨年は、枯れ草(バラ科)を踏んで前後のタイヤがいっぺんにパンクしてしまったことがあったが、それ以前はそんなことは起こるはずがないと思っていたのであるが、起こるときは起こるのである。現状を把握して、危険を想定する能力を鍛えておくことは『つぎはぎ日本一周』を続けていくには必要なことだと思う。
 予想以上にアップダウンがあったので、生月島の先端に行こうと思っていたのだが、ちょっと考えてしまった。生月橋のちょっと先の生月大魚藍観音を見てから橋をもどった。

    

 この後のコースだが、平戸島の南の端になる宮の浦という港町を目標とした。ここは橋でつながれた日本最西端の港町ということで、行ってみることにしたのだ。地図には宿泊のマークが3箇所あり、ここにくれば、泊まることもできるだろうという気持ちもあった。県道19号線を行くが、ここまでもきつかったが、ここからの道もアップダウンの連続だった。それでも景色と下りの気持ちよさがあるので、がんばって進むことができた。途中、切支丹資料館に寄るつもりだったが、いつの間にか通り過ぎていたようで、そこがちょっと残念だった。国道383号線に合流して、そこから宮の浦を目指す。この道は山の中を進む、それほど景色にも変化がなかった。383号から最後は再び県道19号線。ここが、また、大変だった。アップダウンの連続、ひとつひとつはそれほど長くはないのであるが、何度もやってくるアップダウンに徐々に体力を消耗していて、いつの間にかへたり込みそうになる、そういった感じの道だった。実際、途中、道端に横になって休憩をとったりした。海側には美しい棚田が広がり、目に映る景色に励まされながら、あと少しで最西端の港につけるという思いから、最後の力をふりしぼってこの19号線を進んだ。そして、ついに到着!やった〜。

    

 しかし、到着した喜びに浸る間もなく今夜の宿を確保しなくてはならない。港の周りを見てみると、結構大きな釣り客専用だと思われる宿があった。すぐに見つかった、ラッキーと思ったのだが・・・・甘かった。今日、予約なしでも宿泊できるかどうか宿の人に聞いてみると、「今日はだめ!」とのこと、最初は宿泊客がいっぱいだからかな?と思ったが、それ以上は聞かずに、つぎの宿へ行ってみた。つぎの宿もすぐ近くだったのだ。2件目にも泊まれるかどうかを聞いてみた。1回断られると、つぎもまた、断られるのでは?という不安がよぎる。「あとかくしの雪」の旅人の言葉、「どうかひとつ、おらをとめてくれるわけにはいかまいか」と、まあ、口ではこうは言わなかったが、ほとんど同じ心境で宿泊できるかどうかを聞いてみた。すると、なんと、無情にもここも断られた。最後の1件・・・・・ここは、何度「すみませーん」「ごめんくださーい」と声を出しても出てこられなかった。留守だったのだ。ということは、なんと、この港町にある宿泊施設すべて撃沈したことになる。ここからもういちど、あのアップダウンを超えて戻るという選択肢もあるにはあったが、さすがにそれは疲労した体には無理。

 

 それでも、性格からか、なんとかなるさ〜と割と明るくとらえ、野宿をすることにした。以前、息子たちとしまなみで宿泊を断られたときには、テントがあったのであるが、今回は荷物になると思い、テントは持ってこなかったのだ。ということは、本格的な野宿。、正真正銘の野宿をすることが決定したのである。明るく解釈してはみたものの、困ったことに気がついた。最西端のこの港町には食堂もないし、コンビ二も見当たらない。ということは食事もなし・・・・・。さすがに、このことを考えるとへなへなと気持ちがなえるのがわかった。少々ならばこれ、すべて経験として受け入れるのであるが、野宿で、しかも食事なしとなると話は変わる。特に食事なしだけはなんとかして打開しないと・・・。
 町を自転車でうろうろしたが、やはり、食堂もお店もない。がっくり、どんどん落ち込むばかり。かろうじて自動販売機にはジュースがあるので、それで我慢するしかないのか・・と思っていたが、それでも、と思い、町の人に聞いてみることにした。「すみません、この町にはお店はありますか?」すると、予想外の答え、「あるよ」・・・・どう見たって店らしい建物はないのだけれど、それはなんと、狭い路地を進んで表通りからは全く見えないような場所にあったのだ。普通お店といえば、表通りに面しているというイメージであるが、町の人しか利用しないお店なので、町の人は全員場所を知っているので、表どおりである必要がないのである。ということで、狭い路地をとおったところにお店を発見。売っているものは、コンビニまでとはいかないが、まずまず。そこで、腹のたしになるようなものをさがした。パン類とクッキーなど、それをレジに持っていくと、レジのおばさんが困ったような顔をした。よく見ると、パンはすべて賞味期限が過ぎていた。少々ならいいですよ!と言おうとして日付を見たらなんと、1週間もすぎているではないか!そんなもん、おいて置くな〜と思ったが、仕方がない、何か腹のたしになるものないですか?と聞いたが、どうもないらしい。お菓子のよなものはあるにはあるのだが。すると、私の困った顔と、自転車のヘルメットに目をむけてくれ、それじゃあ、何もないけど、おにぎりをつくってあげよう。ということで、なんと、おにぎりを自分の家のお米で作ってくれたのだ。宿泊をことわられたショックで落ち込んでいたところなので、この好意、ものすごく感動してしまった。本当にありがたかった。何度もお礼をいい、店を出た。

 

 さて、今晩の野宿する場所を探すこととなった。町をいろいろ見て回ったが、ここ!というところもなく、仕方なくバス停で寝ることにした。そこで、いただいたおにぎりを食べたり、クッキーを食べたりしていたら、おばあさんがやってきた。「どこから来たの?」みたいなことから、だんだん昔の話へと進んでいった。ここは昔は陸の孤島みたいなところで、今みたいに車で行き来できるような道は無かったということだった。最後に家に遊びにこんかね?と誘われたが、この好意を本気で受け取るのがいいのか、リップサービスでいっていて、本当には受け入れてはいけないのか迷った。それでも、口ぶりから、なんとなく行ってはいけないような気がして、「ご好意だけいただきます。ありがとうございました。夏なので、今日はここで大丈夫です」と言って、お別れをした。
 その後、バス停のベンチで横になり、少しうとうとした。さすがに4時間睡眠と、100キロを走ってきた体はそうとう疲れていた。それでも、途中から蚊が気になって目が覚めてしまった。そこで、風のとおりがいい場所、岸壁に移動して、そこで、野宿することにした。ここならば、風もあり、あまり蚊を気にしなくてもする。ここでも少しの間眠った。9時ぐらいだったか、寝ていると、漁船が一隻帰ってきた。息子と父親の二人で漁に出ていたらしい。息子は中1ということだった。
 鯛を何匹かつってきたということだった。息子さんも、数年前から漁を手伝っていたそうだ。「兄ちゃん鯛、何匹かやろうか?」と漁師さんは言ってくれたものの、今いただいても、どうすることができない。益田だったらありがたくいただいているところなのに・・・残念。ここでも「お気持ちだけいただきます。ありがとうございました。」といって別れた。
 そのうちに夜の涼しさにさそわれたのか、おじいちゃんやおばあちゃんたちが散歩をされているようだった。一人のおじいさんが私のところに来て、いろいろと話をしてくれた。以前は、魚影が濃いくて、とってもいい漁場だったのだが、最近は魚も少なくなってなかなか大変というような話をされた。また、魚群探知機やGPSなどで、機材はものすごく進歩したものの、その分魚を採りつくす結果になり、悪循環になっているそうだ。以前はひらめもものすごくとれ、値段も1匹7000円から9000円ぐらいの値がついたということだった。当時は何度もテレビで取材をされたこともあり、調子にのって取材を受けていたら、税務署に目をつけられて、追徴課税を100万以上もとられるようなこともあったということだった。しかし、今は漁獲高は当時の3分の1で、値段も1匹3000円前後ととっても厳しいと嘆いておられた。五島列島に釣りに行く人たちの出発港にもなっているのだが、最近は景気がわるいのか、ブームがさったのか、釣り客もずいぶんすくなくなったということだった。
 野宿のいうあまり喜ばしくない結果になったものの、こうして地元の人々と話ができたことはうれしいことだ。このおじいさんも家に遊びにおいで、といってくれたものの、もう遅かったこともあり、夏なので、大丈夫です。ありがとう。と言ってお別れした。その後は、コンクリートの上ではあったが、それほど苦労せずに眠ることができた。しかし、夜中の3時ごろ、ぽつぽつと雨が落ちてきた。ここで、再びバス停に移動して眠った。雨のせいか、蚊はそれほど気にならず朝まで眠ることができた。
 今日、1日本当にいろいろあった。これだから『つぎはぎ日本一周』は面白い。とプラスに解釈をしておこう。
 走行距離  109.69キロ
 平均時速   18.6キロ
 必要経費 平戸城入城料 500円
        高速代    5150円
        宿泊代      0円
 その他  食事代、水分補給代などかかる














『つぎはぎ日本一周』