B 益田〜仁万

2003.5.18
 前回のロングツーリングは西に向かって進んだので、今回は東に向かって行くことにした。目標はだいたい100キロ。今回は日帰りなので、少々あわただしいツーリングになりそう。

〜前日の計画〜
 最近は、インターネットのおかげで旅の計画が本当に楽になったと思う。たいがいの情報は手に入る。今回利用したのは、地図のサイト「マップファン」と帰りの鉄道の時間(輪行で帰るため)を調べるサイト「MSN乗り換え案内」である。これによると、だいたい100キロというと、仁万までで、それに、夕方ラッシュが一段落した時間に鉄道で帰りたいと思うので、そうした時間に仁万で乗り、益田まで帰ることができる列車があるかどうかを調べてみた。昔だったら、時刻表を購入して調べなければこういうことが分からなかったと思うが、今は、駅名を入力して、クリックすればすぐに結果が分かるのである。本当に便利。結果は、19時14分にあることが分かった。益田には21時20分ごろに到着ということだった。次の日が勤務なので、少々きついけれども、列車の中では休むことができるし、あまり早く帰ると昼間は人も多く、輪行をするのはちょっと・・・って感じなので、この時間帯がベスト。こうして、今回のおおまかなツーリングルートは決定した。
 ただ行くだけではせっかくのツーリングもトレーニングだけで終わるので観光をするところをある程度考える。これは、自転車のいいところで、ふらっとそのときの気分でどこにでも寄っていけるから、それほど窮屈に計画は立てないでも大丈夫なことは大丈夫なのだが、ここだけは、というところを考えてみた。中村真也さんが日本一周の途中で寄った、石見銀山には行ってみたいと思った。(実はまだ行ったことがないのだ)
〜当日〜
 5月18日(日)
 朝7時に自宅を出発。できるだけ、軽装でいきたいので、リュック一つという荷物である。このリュックの中には輪行バック、レインスーツ、財布、携帯、インターネットのサイトから印刷したちょっとした地図、ぐらい。自転車には、サドルバックの中に、パンク修理用具と輪行で使う六角レンチ、フレームには空気入れ、この程度の装備で出発である。
 安田小までの道(9号線)は昨年まで車で7年間通った道である。ここは歩道が狭く、車道での走行になる。おまけに車道も狭い。安田小の子には、この道は自転車で乗るのは禁止しているぐらいの危険な道なのである。しかし、今回は朝早いということもあり、それほどひやっとするようなこともなくとおりぬけることができた。
 その後、遠田〜木部のトンネルをさけ、海岸沿いを通り、鎌手へ。トゥークリップのおかげでそれほどきついとは思わずに釣具センター鎌手の坂もクリアすることができた。軽快にずんずんと進む。
 三隅の火力発電所に入るところが、ちょうど16キロ。その後、三隅の町をぬけ、道の駅に近づいたところで、突然膝に激痛が。徐々に痛くなったのなら分かるが、なぜか急に痛くなった。トゥークリップのおかげで、今まで以上にハイスピードで、知らず知らずの間に膝を酷使していたのかもしれない。また、トォークリップは足を固定しているので、遊びがなく、同じ姿勢で同じところに負担が行くのかもしれない。今までになく早い膝痛である。20キロちょっとだったと思う。後、80キロ。先が思いやられる。しかし、今日の三隅の道の駅痛みは膝をやや伸ばし気味で力が入ったときだけに出るものだったので、その姿勢をできるだけとらないようにして漕いでいくことにした。トゥークリップのもう一つの強みは片足でも漕げるというもので、押す力と引く力のバランスをとりながらスピードをおさえて進むことにした。
 休憩をかねて、三隅の道の駅による。ここは、浜田の道の駅ほど大きくはなく人も多くはないが、景色はとてもいい。きれいな景色を眺めながら、膝をしばし休める。
 浜田に着いたのは出発してから2時間半。いつもは自動車なので、バイパスを通るが、今回は海沿いを走る。
 当然浜田マリン大橋が見えてくる。この橋は大変美しく、新しい浜田のシンボルとなっているものである。しかし、この橋には?が多い。
 8億円の大金を使って完成した橋で、誰が通るのか分からないような橋として有名な橋である。この橋がかかっている先の島には、以前から道が通っている、この橋ができたことで島の人が町に出るのが5分ぐらい短縮できるかなあ?というぐらいの橋である。また、この橋を渡ったところで、道は通行止めになって、今でも工事中というもので、島の人はまだ使えないという奇妙な橋である。
 ここの橋を渡ってみた。さきほどのいろいろな?は置いておいて、やはり、こういう橋を通るのは気持ちがいい。景色はとてもいい。橋の欄干にトンビがたくさん止まっていた。浜田のトンビは行儀が悪いので、有名で、急降下で弁当をとっていく。欄干のトンビも私が自転車で直前まで行ってもなかなか飛び立たず、横を通るとやっと飛び立つという感じだった

マリン大橋マリン大橋U

 マリン大橋を後にして、次に町中を通る。見えてきたのは浜田城跡。素通りしようと思っていたのであ司馬遼太郎の碑るが、看板に司馬遼太郎の文字が、何かゆかりのものでもあるのか?と思い、急きょ行ってみる。上ってみて意外に立派な石垣があることにびっくり。司馬遼太郎関係のものを探してみると、浜田城のことについて司馬遼太郎が紹介している文章があり、それを碑にしていた。やや期待はずれ。本丸跡に上ってみる。ここからの景色はとてもよく、城が残っていたらもっと素敵だっただろうと思った。
 


アクアス その後、9号線をどんどん進んで、アクアスの前まできた。車では来た事があるところだが、自転車で到着。やはり、うれしい。何度も入場しているので、今回は記念写真だけ撮り通過する。大学時代事故った所

 そして、敬川饅頭で有名な、江津の敬川へ。ここは、大学1年の時に、バイクで事故って、救急車で運ばれた思い出のある場所。丁度、この看板のところである。あれから20年・・・・時がたつのは早い。

 江津駅をぬけ、大橋を渡ろうとしたところ、車道が狭く、歩道を走ろうと思ったが、どこから歩道に行けばいいのか分からないようなつくりになっていた。向かい側に独立した歩道(橋)があるのであるが、入れないまま、車道を走る。幸いあまり車の通りも多くなく危険を感じることなく通過。
 江津で昼食をとり、気持ちを新たに温泉津へ向かう。ここらへんはトンネルが多く、慎重に運転。横を通る車にも、いろいろな車がある。自転車が通っていると分かるとゆっくり走ってくれる車、そんなことお構いなしですれすれを猛スピードのまま通り過ぎる車、スピードは出ているものの、大きく迂回して間を空けて通ってくれる車、自転車は本当に弱者だということを痛感する。いくらこちらに非はなくても、事故を起こされたら、やばいのは自転車の方なのだ。すれすれを通る人には、自転車は邪魔者ぐらいにしか見えていないのだろうと思う。自分も自動車を運転する身として、交通弱者に対する気持ちには気をつけようと強く思った。

美しい〜 山陰の海岸は、どこを見てもきれいだなあと思う。ところどころで、思わず記念写真を撮りたくなる。江津の海浜公園でもパチリ。

 温泉津を過ぎ、いよいよ仁万、琴ケ浜。ここは、鳴き砂とサンドミュージアム(世界一の砂時計)で有名な場所。まずは、鳴き砂を確認しに、琴ケ浜に下りてみた。最初は、あまり鳴らないように感じたが、砂がこすれるように歩いてみるとキュ、キュとなった。足にまで、その音とともに微妙な振動が伝わってくるようだった。鳴き砂は、相当きれいな砂でないと鳴かないということである。貴重な音なのだ。

 鳴き砂の音に感動した余韻に浸りながら、9号線にはもどらず、海岸沿いの道を進んだ。きっと、仁万駅にはつけるだろうと簡単に考えていたのであるが、これが、なかなか大変だった。集落を過ぎると急な坂が待っていた。ギヤを一番軽くして、膝の痛みに耐えながらゆっくりゆっくり走っていたら、なんと、立ち漕ぎのママチャリ中学生軍団に軽く抜かされてしまったのだ。何たる屈辱。ママチャリに24段変速のMTBが抜かされるとは・・・。ショックを感じているときにその中学生が横をさわやかに「こんにちは!」といって過ぎていった。私もあわてあいさつをかえしたが、やられたーって感じ。

 苦労して峠を越えた。下ったところにサンドミュージアムが見えてきた。そして、仁万駅も。今日の終点はここなのだが、時間的には相当余裕がある。ここから7キロほど山側へ行ったところに石見銀山がある。今日の目的の一つなので、多少膝は痛んだが、いってみることにした。サンドミュージアムは以前行ったことがあるので、今回はパス。

 石見銀山までの道は新しく広々して気持ちよかったが、やはり山というだけあって上り坂だ。ここの上りはゆるやかだが、だらだらと続く。坂の途中で出発してから丁度100キロとメーターが示した。

 石見銀山に着き、早速資料館に入る。当時の様子がよく分かる資料館だった。当時の様子も当時に描かれた絵と一緒に説明が出ていて、とても興味深く見ることができた。坑道の空気が悪く、病気になる人が多かったということで、送風機(手動)で空気を送っていたことなど知らなかったことも多かった。街並保存地区実際の送風機も展示してあった。また、水のくみ出しに相当労力を使っていたということも分かった。
 資料館を出て、街並保存地区へ。当時の雰囲気を約1キロメートルにわたって残しているところである。ただ、当時の家がそのまま残っているというよりも、雰囲気を残すためにいろいろ努力している地区という感じがした。ここを自転車でゆっくりゆっくりと味わいながら進んだ。いい感じだ。 街並保存地区を過ぎ、今度はいよいよ間歩(坑道)に行ってみる。2.3キロの道を上る。
 道もだんだん狭くなり、前を女性二人が歩いていて、自転車が通れない。そこで、ベルを鳴らそうとしたが、ツーキニストの田智氏の本で、ベルを急に鳴らすとびっくりし、いやな感じになるので、声で「通ります」と言うと紹介してあったのを思い出し、前の女性に「すみません、通ります。」といった。すると、逆にものすごくびっくりされたようで「ぎゃ〜〜〜〜〜」と言ってこけそうに・・・・・。その叫び声で私もびっくりした。音もなく近づいていける自転車なので、急に声だけが聞こえびっくりされたのだろうと思う。じゃあどうすりゃいいんだ〜〜!!と思ってしまった。
 途中にも規模の小さい間歩跡があったが、目的の龍源寺間歩は予想以上に大きかった。なんといっても、自転車を押して通ってもいいということで驚いた。入口と出口が違う場所にある。
 龍源寺間歩は、1715年に始まり昭和18年(1943年)まで掘られていたそうである。ノミの跡が残っていたり、排水のためのたて穴が開いていたりして、当時の雰囲気が漂っていた。

間歩入口なんと自転車もOK間歩内

五百羅漢 もう一つの石見銀山の名所五百羅漢であるが、今回は、前で記念写真を撮るだけで中には入らなかった。またの機会に残しておく。

 石見銀山を後にして、仁万駅に帰る。ここから、輪行をして益田に帰るわけであるが、列車の時間まで、まだ1時間半近くも時間がある。夕食のためにコンビニによって、おにぎりとお好み焼きを購入して、近くの川岸で食べた。
 輪行のため、自転車の車輪をはずし、輪行袋に入れる。今回は2回目輪行だ〜ということもあり、わりとスムーズに行ったが、ただ一つうまくいかなかったことがあった。それは、工具が甘くなってペダルをうまくはずせなかったのだ。それで、ペダルをつけたままのパッキングとなった。
 19時14分の列車には結構人が乗っていて、今回も何か申し訳ない気持ちになった。前輪だけはずす輪行はやはり、大きすぎる。次回は、後輪もはずす輪行を試み、少しでも小さいパッキングで心安らかに帰りの旅をしたいと思った。後ろのギヤのところが複雑そうで、壊れそうなので少々不安があるが研究してみよう。

















『つぎはぎ日本一周』