萬福寺〜雪舟の郷記念館

2002.12.22
 先日、休館でいくことができなかった雪舟の郷記念館に行くことにした。天候の方も冬ではあるがぽかぽかして気持ちいい。サイクリングをするにはうってつけである。せっかくなので一ヶ所だけでなく今日は次のようなルートを考えた。
 萬福寺〜歴史資料館〜SL公園〜雪舟の郷記念館〜大喜庵というコースである。


出発だ!

最初に向かったのは萬福寺。家から500メートル〜600メートルと近い。


恒例の記念撮影

 改めて見ると、本堂は国重要文化財だけあり、シンプルだがなんとも言えない美しさがある。
まず本堂に入ってみる。入った瞬間時代の重さというか、他のお寺の本堂とはちょっと違った空気を感じた。子どもたちも同じようなことを思ったようで、「なんかすごいねえ」という感想をもらす。ご本尊さまをまつっているところの柱のつくりや、空間がなんともいえぬ雰囲気を作っていた。また入口の正面には迫力のある武士の襖絵があり我々を迎え入れており、なんとなく入るのをためらうような感覚を持った。追い討ちをかけるように、奥には、昔水害でなくなった方のしゃれこうべが展示してあった。

その後、裏の雪舟庭園に行く。


う〜んやっぱり落ち着く感じのつくりだ。


唯一残っている弾痕(本堂の柱)

 幕府と長州藩が戦った時の弾痕が残っているはずだと思い、ここの奥さんに聞くと、わざわざやってきてくれ、本堂の柱(写真)にあることを教えてくれた。そして、慶応2年(1866)幕府と長州藩が戦った第2次長州征伐(四境戦争)石州口の戦いの時のものであること、昭和9年の修理のための建て替えでこの柱の弾痕しか残っていないということを教えてくれた。昔は、こういう弾痕が寺のいたるところにあったそうである。
 次に、益田小学校の前にある益田市歴史民俗資料館に行く。萬福寺から150メートルぐらいの距離だ。そこは昔、益田警察署として使われていた建物を利用した資料館である。
 中の展示物は益田の昔の写真や、益田出身の徳川夢声、田畑修一郎の作品やおいたち、また昔使用されていた日用品など興味深いものがあった。
 益田小学校の昔の校舎の写真を見て、子どもたちは「今と全然ちがう」と喜んでいた。私は、昭和7年に撮られた写真の中に、津田海岸で海水浴をしているものがあったが、今からでは考えられないほどの賑わいで、たくさんの海水浴客が笑顔で写っていたのには少々驚いた。家庭訪問で、津田海岸近くの家におじゃましたときに、そういえば昔は、海水浴場としてにぎわっていたということを言われたのを思い出した。文太楼(料亭)の前の海岸にもたくさんの人が泳いでいる写真があった。当時は本当ににぎやかだったんだろうなあと思う。


益田歴史民俗資料館


徳川夢声&田畑修一郎

 次に雪舟の郷記念館に行こうとした。しかし、お昼になったので、昼食をとることに。今回は、野外でシングルバーナーを使ってお湯を沸かし、カップめんを食べることにした。息子たちの希望で、SLがあるあけぼのの西公園に行く。公園なので、東屋か何かあるだろうと思ったが、SLとトイレがあるだけで遊具もほとんどない公園だった。仕方なくSLの運転席に上って食事の準備をする。


寒い戸外で、暖かいカップめん。とってもおいしい。


SLに登って カシャ!

 SLの周り、運転席などに ごみが落ちていたり落書きがしてあったりと、食事をするのには、あまり気持ちいい場所とはいえなかった。そこで、帰る前に、3人でごみを拾って帰ることにした。ごみの中にはビール瓶、弁当がら、お菓子の袋、空き缶など結構いろいろあった。
 お腹もいっぱいになったところで、今度は、雪舟の郷記念館に行く。今日は開いていた。


雪舟のビデオを見る。
雪舟の水墨画はこのページから(京都国立博物館特別展のページ)

 ここの吉崎館長さんは、大変エネルギッシュな方で、雪舟についていろいろと語ってくれた。雪舟ゆかりの地ということで益田を訪ねて来る人がガソリンスタンドで雪舟について聞いたらそこの若い従業員は知らなかったという話をされ、もっと学校教育で雪舟のことを取り上げてほしいと力説されていた。
 また、雪舟425回忌の記念に高村光雲が昭和2年に雪舟禅師像を益田市に寄贈してくれたことなどを話してくれた。恥ずかしながら私も、それを聞いた時は高村光雲という人を知らなかった。家に帰ってインターネットで調べると、なんと、あの知恵子抄で有名な高村光太郎の父親ということが分かった。こんなところで、高村光太郎と益田がつながるなんて、びっくりした。歴史を調べると点と点がつながっていくのがおもしろい。
 次に、この記念館のすぐ横にある大喜庵に行く。ここは、雪舟のお墓があるところである。日本でここだけに雪舟の墓があるという説明であったがやはりなぞが多い人物のようで、インターネットを検索すると、岡山・芳井町にもあるらしい。どちらが本当の終焉の地なのだろうか?益田であってほしいなあ。


これが雪舟のお墓だ!  雪舟の像もある。

 こうして、今回のサイクリングは終了した。自転車でめぐる歴史探検という感じになっている最近のサイクリング。まだまだ、この路線は続きそうな気配が・・・。息子たちよ、付き合ってくれい。